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 さてさて出産のページの「高齢出産」なんて言葉から察せられるとおり、私は結構な年齢なので、甘美なセイシュンの思い出というのは80年代だったりするわけです。93年に渡仏しているのですが、80年前半は大学生、半ばに就職してイラストグループに入ったのもこのころ、初めてのイギリス旅行のあと英語をもう一度やり直し、さらにフランス語を習い始めたり、となかなか楽しい毎日を送ってました。このコーナーでは80年代を中心に当時夢中だったもののお話などさせていただきます。

 80年代の半ば、私と友人Kちゃんはミニコミ誌なるものを作っていて、計6冊発行しました。
知る人ぞ知るといった実在の食堂の名前をそのまま拝借して「ダイヤ食堂」 としたものの、途中でやっぱりそれはまずいかも、ということになり「ダイヤ」に改名。

  内容はイラスト、詩、漫画など。本当は幻の7巻というのがあってサブタイトルは「ピナコテーク・ダイヤ」。次号予告を出し、雑誌に五行広告なんかも載せて原稿も2,3集まっていたのだが結局実現せず‥いや「まだ」実現せず、といっておこうか。ちなみにピナコテークとはドイツ語で、私設の美術館といった意味。しかしマイナーな単語なのかドイツ人ですらあまり知らないようだ。
  さてさてみんなに原稿依頼するにあたってどのようにして自分たちのコンセプトとかわかってもらえるのだろうか、と考えたあげくメニューと称し自分たちの好きなものを羅列したチラシを作って配ったという、単純といえば単純な方法で示しました。そのチラシというのが下のものです。
 ええと恥ずかしいうたい文句は若気の至りということで見逃して、ね。 画像をクリックすると拡大して内容が読めます。私とKちゃんの好きなものが混在してるけど、特に私は当時は妙にレトロ趣味だった。サイレント映画を連日見てたのもこの頃。「ドイツ映画回顧展」に通ったり名古屋で当時定期的に行われていた活弁つきの「懐かしの映画鑑賞会」では高齢の方に混じって嵐寛十郎なんて見たっけ・・・。(追記:その後調べたら「懐かしの映画鑑賞会」は今でも行われているようです。)

 80年代半ば過ぎに出会ってその後の嗜好に大きく影響を及ぼした、村上春樹もマイ・フェイバリット・ミュージシャンであるムーンライダーズも、 ハルメンズ(知っている人いるだろうか?日本のニューウェイブバンドで、当時のめり込んでました)もまだ登場してません。映画監督もヴィスコンティの名前が見られるのみ。今だとイタリアならフェリーニの方が好きなんだけどなぁ。
 今、マイ・リバイバルしているPiL/ジョン・ライドンはこのころすでにファンだったはずだけど、これについてはなぜかあまりおおっぴらには言ってなかったせいかこれも登場していない。

 次回は1号の画像をアップします。