水が笑う

 

 

 

「えっ、あのグラン・ルネが死んだ―――?」

「一週間前にやり合ったんだぜ」

・・・・「死んだか―――」・・・・「Merde・メルド(糞)」

 

あだ名がスモウトリ

潮風に灼いた毛深い胸板

浮き出た血管が生きもののように這いまわる男

 

手が笑う

子供のとき糞壷をかきまわした棒っきれに

春をつなぎとめていた男

 

なぜかわたしを

イロニー イロニー と呼んだ

 

「フォアグラが最高にからだにいいんだ」

彼の口ぐせだった

 

棒っきれが血管の流れを堰き止めたとき

不動産屋のテーブルに転がって

打ち寄せる光に

ルネは糞壷の中で脳みそを腑分け

 

その手が

笑っている               詩集「水が笑う」(1-1)書肆山田2008

 

 

 

 

 

娘のとき過ごした家のまわりは

沼地あと

 

春になると

水際に何の穴か

無数に 口のような 肛門のような

指を入れるのもはばかられる

夕暮れになっても 溶けこまない穴のぬめり

 

博物館ではにわと出合った

はにわの目や口が

乾ききった深いぬめり

苦い笑いととめどもなくつづく乾いたひび痕

 

沼地の穴のぬめりの中へ

 

「ヴォー ヴォー」 とつぜん牛蛙

ぬめりの底から 空ろな目づかい

 

北斎漫画 むすうの吸盤

わたしを辱し

はげしく空ろなよそおい

ぬめぬめと手足をからませ

 

沼地の穴のぬめりの中へ        詩集「水が笑う」(2-2)書肆山田2008

 

 

 

 

存在しないものたち

 

 

 

背すじに沁み入る霧雨が少女のリュックを濡らす

笑いながらシャッターを切る少女たち

話しながらコーラを飲む少女たち

黒松のむせかえる匂いと少女の匂いが雲の裂け目を縫う

 

石髄が枯れ骨が露出し なおふんばる肉石 霧雨にぬれ

孕む苦悩で石の民 銅の民 鉄の民 祭壇を穢し

星座に贖い太陽の道に沿って石の仏が月の仏が輪をひろげ

ずれていく地表に欠けていく月に少女の肉霊をとばし

 

月の早さに星の早さに異境を越えて石が歩む

寒風にさらされ星座を不動の姿勢で凝視するくじらの胸骨

山の光海の光よりなお白く霧雨にぬれ星に歩む

石の歩み骨の歩み奏でる銅鐸 異界にほの白く降り立つ

 

カラカラと笑い声がざわめいて足音だけが去っていく

羊歯といばらの厚い葉脈を切る舗装された小道

リュックの中にどれだけの石の雫 石の温もり

霧雨が風景を孕む 樹の隋をふるわせ斜めに歩む

 

 

 

 

 

叫びながらうたうように移動する

南の島の山岳の民

 

ゆったりともの静かになにも発せずに移動する

かたつむり粘っこい誇りに満ちた動き 彼らだけの叫び

 

くり返される波の音に消されがちだが彼らだけの苦痛の笑い

この干涸びた ひごたいさいこ草にこれだけかたまって死の中に

 

溶け無言で小さな心臓とペニスで必死に壊れそうにしがみつく

無数のかたつむり夜風にゆれ星空に流れ星のはやさを見つめ合う

 

星のちんもくを聴きとり風の粘液で酔いしれ からだじゅうを潤し

歩む畏怖 山から山へ走り天に転び よどむ流れで地底に忍び

 

叫びながらうたうように移動する

沈黙の闇の生

 

 

 

 

 

霊気で身のしまったトマト土壌の中からさわやかに笑い天に橋立て

 

翔び立つような緑の葉が砂地のほろにがさで異界掻きたて

 

潮風がまぶしい砂ぼこりまぜて海辺のほそ道地平をひろげて

 

トマトの赤みがほがらかに雲の闇土の闇を照らすこの世の果て

 

いろとりどりの水着のいろが砂浜のへこみに淀み煩悩沈めて

 

走る雨気走る色の光を秘蔵させる水平線の尽きる溝 充血し膨張して

 

沼地の寂かさますますなまめく夕陽のなかのトマト雲の裏かかえて

 

地底に映し闇のみどりに生れ変ろうと環をえがく疾風

 

 

                

                     詩集「川の傷口」書肆山田1998