ジャーナルトップ 04年 03年4月〜12月 03年1〜3月 02年 HOME
ダイアリー
12月8日
メールや携帯でも連絡がメインになってからはついつい留守電の確認を怠ってしまう。うちのはメッセージが入ってもランプとかが点滅するわけではなく、液晶画面にメッセージ数が表示されるだけなので、自分から見ないとメッセージが入っていても気づかない。留守電にメッセージを残す人は以前よりずっと少なくなってるものの、それでもときどきはあるので、ちゃんと毎日見るべきだが、うっかり忘れていることがある。昨日、夜遅くにメッセージがひとつ入っているのに気がついた。 聞くとドクターといっている。診察の予約の確認だがそんな予約はした覚えがない。
そういえば昼間に妹が子供を産んだクリニックから電話があったな。妹のところは電話番号が変更になってるので、おそらくその他の連絡先に書いてあった私の家に書けてきたのだろう。そして妹の現在の連絡先を話したのだ。きっとその前に私の留守中に一度かけてきたのだろう。
妹に聞くと、そんな名前のドクターは知らない、という。間違い電話かなあ?でも私の名前を言っているが、私と同じ名字の人がもう1人電話帳に載ってたので、電話帳で調べて間違えたのかなあ。ふと、最近歯医者に行ったことを思い出した。被せてあるのが取れたので、くっつけてもらいにいったのだが、元の歯がかなり痛んでいるので、おそらく抜かなきゃならない、もし抜かずにすんだとしても、かなり高度な治療になるので、治療費もかなり高くなる、と言われた。そしてその判断と指示は、私が診てもらった歯医者の同僚がするので、レントゲン写真持って、そこに予約取って行って、と言われた。ええ?私はいつも日本に帰ったとき、小学生の時から通ってる歯科(当時の先生はもう亡くなって今はその息子さんが担当してるが)にいつも行くが、もっと重症の歯があって、かなり危ないかな、と思ったけど、何とか残して治療してもらえた。私は虫歯が非常にできやすいたちなので大体わかるが、今回診てもらった歯はそんなに大したことないはずだ。根もしっかりしてるし。フランスの歯医者は、虫歯治療に関しては、余り評判よろしくない。 そこで実家にそのレントゲン写真を送って、今そのかかりつけの歯医者に通っている弟に持っていってもらった。すると、ちらりと一瞥しただけで「抜く必要はありません。」とのことだったそうだ。
やーめた、やーめた、その紹介してもらったところへ行くの。と、予約は取らなかった。それをふと思い出して、フランスでかかった歯医者の同僚という歯医者の名前を見ると、留守電に入っている歯医者と同じだった。電話をかけて取り消すが、一応、「私は予約入れてなかったのですが」というと、私のかかった歯医者の方から予約があったという。え?本人了承も得ずに予約なんて初めてだ。しかも土曜日なんて、仕事があることが多いし、仕事が休みなら子供と過ごすし、土曜日に予約なんて聞かれたら断るよ。
もちろんフランスにもいい歯医者はいるだろうし、実際いい歯医者もいると聞く。でも、いい歯医者だったら、数週間先まで予約でいっぱいらしいし、勝手に人の予約を決めるなんてことはしないだろう。ここは止めた方がいい、と思ったのであった。12月5日
さて本日でSalon du livre は終了。結局4日の日曜日以外は毎日行っていたことになる。
と言っても、アートディレクターとのアポイントにキャンセルなどで空きができてないか聞きに行ったあとはぶらぶら1周して終わり、という日もあったが。結局空きがあったのは下記のローティーン雑誌と同じ出版社が出している別のローティーン向け雑誌のみでこれもパス。あと、Maison des Illustrateurs のスタンドに行って会員に2度ほど見てもらって感想を聞いた。「いいんじゃない?サンパだよ。」みたいな感想。この2度以外にも子供とその父親Fとも立ち寄ってるので、最終日に作品を見せてたときに、やはりほぼ毎日スタンドに来ていたスタッフが横で、「この人毎日来てるよ」とクスクス笑って耳打ちしていた。今までエキスポジションの初日とかにも顔出さなかったし(時間的に難しいせいもある)、他の活動もしてなかったのに、突然わいてきたかのように現れていた私であった。
あと、大手の出版社のスタンドにたまたまアートディレクターか編集者が来てたので、見せることができた。進行中の2作といくつかのイラストを見せると「ふーん。別に悪くはないがうちのスタイルじゃないと思うけどね。まあ、でもよかったらメールか郵送で送って。」と送付先を書いてくれた。送ってと言われたからといって、関心を持ってもらったというわけではなく、これはお決まりのあいさつ。そう、結局はアドバイスとかはない。まあ、アドバイスがある時ってのはそれだけ関心を持ってもらったってことだろうね。そうでないとき、つまり関心ないときは「こうした方がいい」みたいなことは言わないのがどうも一般的なのかな。 日本で持ち込みをしたときは、取りあえずいろいろとアドバイスもらえたけどね。こちらは余計なことは言わないって感じかな。
12月1日
いきなり師走です。11月は時間さえあればひたすら引き籠もり 絵を描いていた。その割にはギャラリーに何も増えていないが。というのは描いているのは絵本だったりするから。
そして、いま郊外のモントルイユで絵本と子供向け雑誌のサロン(見本市)が行われている。Salon du Livre et de la Presse Jeunesse というのが正確な名称で、毎年この時期に数日間に渡って行われる。 このサロンは毎年テーマがあり、また様々なイベントがある。今年のテーマはブラジル。そしてイラスト描きにとっては貴重な「アートディレクターとの面談」というのも行われる。こちらは普段出版社は、日本のように気楽に持ち込みは受け付けてくれない。まずは作品のコピーなどを出版社の担当者宛に送って、向こうが興味を示してくれた場合のみ会ってくれるというもの。編集者側にとっては合理的な方法だ。使えないものを見たって時間の無駄だろう。しかし描き手側からすると、ひととおりいろいろな出版社を当たってみたあと、そっけない形式的な手紙が返って来るだけでは今後どう改善すればいいのやら、と途方に暮れることも多い。なので、このチャンスに!とイラストレーターやイラストレーター志望はプレゼンテーションブックを持ってこのサロンにやってくるわけだ。
こうやって、具体的に出版社に連絡を取ったり、サロンに行くようになったのはほんの1年半ほど前から。だから去年は要領がわからなく、いつの間にか始まってたという感じで、スタンドにたまたまいた編集者にちょっと見てもらったくらいだ。例外的に予約不要というのはあるが、大部分の面談は予約が必要。予約申し込みは公式サイト上から行うので、今年はずっとこのサロンの公式サイトをチェックして、申し込みが始まるのを待っていた。引き籠もって制作を続けていたのも、絵本をある程度形にして用意していこうというのがあったからだ。・・にもかかわらず、私は予約を取り損なった。かなり間抜けだ。
まず、いまひとつサイトがわかりづらく、全然別のページを見ていた。しかも、「(作家その他に)会う」というメニューの中に、建設中のページがあって、そこに、「近日中にここには出版社の連絡先一覧がアップされます」などと書いてあったので、ああこのページから各出版社の担当者にアポイント取るんだな、と思っていた。去年も結構ギリギリに受付が始まったと聞くので、ずっとまだかな、まだかな、と待っていた。
別に「クリエイター」という項目があり、大分前クリックしたときはこれといったものが何も出てこなかったので、しばらく見てなかったが、ちょっと前にもう一度そこをクリックすると、別の場所にさらに細かいメニューが出てきてその中にRencontres D.A.というのがある。Rencontresは会うこと、D.A.はDirecteur Artistiqueつまりアートディレクターの略。そこをクリックすして出てきたのは、「D.A.との予約の受付は終了しました。」‥‥がーーーーーん。しかし続けて「まだ多少の空きはあります。数日後にここに各出版社のプランニングがアップされるので、それをご覧になった上、希望者はX日までにメール下さい。」
とこんな感じで2次募集があり、なんとか一件だけ小さな出版社と予約が取れた。日時はは昨日の午後、サロンの初日であった。事前に出版物を見てみると、そこのカラーは自分とはかなりかけ離れている。だから、まあうまい具合に話が運ぶことはないだろうとは思ってはいた。編集長、アートディレクターとすべて掛け持つその出版社の社長は、素敵な笑みで迎えてくれたものの、2分ほどで面談は終わってしまった。去年のようにいきなり持っていったのとは違って、約束を取り付けた上での面談だ。だからせめて何かアドバイスを、と思って聞くと依然として満面の笑みで「ないわよ。あなたはあなたで自分のスタイルでやっていけばいいのよ。きっと合うところが他ににあるはずよ。」と言う。会ってみたところで、書面で得られる情報と同じものしか得られなかった。
そして、私が去年から所属しているMaison des Illustrateurs(所属のみで、積極的に参加はあまりしていない、サイトに作品を載せられるのにそれすら送ってないよ。これではいかん)のスタンドに行って、他に手段がないか、たとえば毎年3月に行われる出版社のサロン(これは児童書のみではなくすべて)などでまた同じような機会がないか、聞いてみたが、アートディレクターとこういったオープンな形で面談できるのは、自分が知ってる限りではここだけだという。今回逃してしまったいきさつを話すと、「そうよね、あれ、簡単じゃないよね。ああ、建設中のページね、わかるわかる。」と、どうも私以外にも、同じようにアポイントを取り損ねてしまった人は結構いるような口振りだった。
スタンドにときどき編集者が来ていて、運がよければ見てもらえるときもあるから、 トライしてみたら?ということだ。去年もそれで多少は見てもらったけどね。今度は、面談の会場に行って、キャンセルが出てないか聞いてみた。今のところ空いているのは、ローティーン向き雑誌のみで全然傾向が違う。でも、直前キャンセルが出るということもあるから、またいつでも尋ねて、ということだった。しかし、私のすぐ後ろに並んでいた人も同じ用件。キャンセル待ちも多いようだ。
まあ、明日は前述のアソシエーションで作品を批評してもらったりする機会があるかもしれないというので、また足を運んでみるつもりだ。せっかく普段の仕事の休みを取ってまで準備していたから、もうフルに通わなきゃ。
9-10月上旬
久々のダイアリー。
こうなったらまとめて書くしかない。
・9月3日 :子供の父方親戚の結婚式。ホテルでの夜通しの披露宴のため、同ホテルで一泊。
うちの子供は普段は恥ずかしがり屋である。エレベーターでご近所さんに会ったり、私の知人友人に会うともじもじしたり、私の後ろに隠れてしまったり、促してもあいさつすらままならない。なのに、なのに・・ 、この日市役所での結婚式、市長さんの前で誓うやつね、終わった瞬間、ちょうど退場する前の一瞬の沈黙のひとときをついて、うちの子供は大きな声で言い放った。「Merci de terminer ! (終わってくれてありがとう)」アンタ、内気なはずじゃなかったのか?一瞬消えたくなった、と思いつつも、ビデオにその瞬間を捕らえてなかったのはちょっと残念、と思ったり。
そして続いての教会での式、これは長くて、教会内は暑く、私ですらまいったが、子供は「まだー?長すぎるー。」のブーイング。ま、これは他にももっと小さい子がいて泣き出したり、だだをこねたりで、外に連れ出すなどしてたので、うちもそうして何とかしのいだ。・息子はこの9月から小学生。1年目はCPと呼ばれ、これはcours preparatoire(準備過程)の略。新学期は9月2日、そして3日の土曜日はは父兄への説明会。しかし上記のごとく結婚式で行けず。てっきり、あとで説明会の内容をまとめたプリントでももらえると思ったが、そういったものはなく、あとでいろいろと支障が出てきた。
幼稚園は4時半に終了後、託児所となって6時半まで預かってもらえる。小学校は4時半以降は託児所とは呼ばずエチュード(勉強)と呼び、6時まで。30分短くなる。仕事のない日はもちろん私が迎えに行き、仕事がある日は、マミィに迎えを頼むが、彼女も日によっては仕事しているので、彼女も私も都合の悪いときは友人にバイトとして頼む。ずっと4時半に行ってたが、ある日マミィが6時なら都合がつくというときがあって、連絡帳に「本日はエチュードに残らせます。6時にマミィが行きます。」と書いたら幼稚園から携帯に電話が入った。「突然エチュードと言っても、申し込みが必要なのご存じ?まあ、今日は例外的に取りあえず引き受けるけど。」とのこと。
説明会行ってないもんだから、そのへんの話を聞いておらず、てっきり幼稚園と同じようなシステムで、ただ「託児所」だと呼び名として子どもっぽすぎるので「エチュード」と呼んでるだけと思っていた。 ところがそうではないらしい。申し込みが必要、さらに有料(といっても各曜日3ヶ月単位で数ユーロくらいのもの)で、エチュードに申し込んだら、その曜日は毎週残る、という感じでフレキシブルではない。
これが幼稚園だと、託児所に残す日はおやつ持参で行くだけで申し込みも予告する必要もない。(注:今年から幼稚園も有料になる、とのことらしいが) 4時半に迎えに行かなければ、自動的に託児組に入れられるだけ、と私のような不規則は労働時間には好都合だ。
だから小学校はそのへんがちょっと不便だ。取りあえず、火曜日は6時まで預かってもらった方がいいので火曜日の申し込みだけしたが。・長年フランスにいながら最近気づいたこと。電話で、「○○いる?」ときくと、「いるわよ。」に続いて必ず「あなたは彼と話したいか?」「あなたは彼に替わってほしいか?」(←もちろんわざと直訳です。まあ、「話す?」「替わる?」てな感じ)という質問が入る。「○○いる?」と言ってんだから話したいに決まってるじゃん。日本なら「いる?」「はい待ってね」で早いのに、こっちはいちいち長いんだよなー、と思ったが、こっちは「○○いる?」というのは○○がいるかいないかの問いかけに過ぎないのだ。替わってほしいんだろうな、ということは察することはできても、日本語のように「替わってください」という意味がちゃんと含まれているわけではない。日本語で「○○さんいらっしゃいますか」「はい、おりますがお話になりますか?」とやるとくどい。
私は「○○いる?」と言う時と、「○○と話せる?」と言う時とあり、一貫してないので、あまり気づかなかったというか気にしてなかった。後者だと当然すぐ「はいはい」と替わってもらえる。ひじょうにくだらない発見。いや何が言いたかったって、もう今ではいちいちフランス語を日本語に脳内変換するようなことはせずダイレクトにフランス語はフランス語でそのまま受け取っているつもりだったのに、ちゃんと日本語のロジックを持ち込んでいたのね、という発見でもあったのだ。蛇足ですが。うちの子供だと実際に直訳的に日本語を話すのでときどきヘンだ。例えば「おなかいっぱい」といわずに「もうお腹すいてない」という。もちろんこれは「Je n'ai plus faim」の直訳だ。いつも訂正するんだけどなかなか直らない。
そして、やはり最近気づいたこと。「どうして〜しないの?」という言い方をやたらする。フランス語でPourquoi tu ne fais pas...いう言い方は、英語のWhy don't you..などと同様に、場合によっては「どうして〜しないの?」という理由を問うというより提案「〜したら?」とか「〜しようよ」みたいなニュアンスのこともある。
先日もお昼前に「どうしてピザ食べない?」と言ったので、ああ、これも直訳ね、「今日のお昼はピザにしよう」と言いたいんだ、と気づいた。・下に書いた非日本人経営的レストランジャポネ、その後も1,2回行ったのだけれど、さすがにちょっと続くともういいやってかんじ。やっぱり焼き鳥とかって酒の肴(私は飲まないのだけれど)であって、ごはんのメインのおかずとしてはちょっとつらいものがある。
でもここのところ行ってなかったので、子供がまた「どうしてブロシェット(串)食べに行かない?」なんて言っている。昨夜は私がちょっと仕事で遅くなり、しかもパピィのところも夕食が遅めで、迎えに行ったときはもうすでに8時近かったがまだ夕食は済んでなかった。食べさせていくと帰りのバスが本数少なくなるし、これから家に帰って作るのも遅すぎるし、ってことで子供の念願の串焼きにするか、と。でも私は買っておいたオリーブ入りのパンが食べたいし、野菜メインで行きたいので子供の分だけテイクアウト。 家でちょっとつまんだけど、やはり香ばしくって、甘口のタレは心地よいけど、味も体裁も、すべてのお店と同じで寸分変わらない。どうも出来合のものを仕入れているということらしい。うーん、それでは、コロッケやおひたし、白菜のお新香などは望めそうにないのだな。
8月13日
最近、非日本人(中国、ベトナム、ラオスその他)経営の日本食レストランにちょくちょく行く。
あの、「すし、さしみ、焼き鳥」って看板掲げているあれですね。うちの子供があの串焼き定食みたいなのが好きなのだ。特に牛肉チーズ巻とつくね。父親と子供と二人の時は前からちょくちょく行ってたらしい。 でも私が加わると、オペラ界隈の日本人経営のラーメン屋とか行ってたものだが、最近は子供が「串がいいー」とリクエストするので、3人の時 も行くことが増えた。
そうしたらこれが思いのほかおいしいんだ、この串焼き。炭焼きで香ばしくって。タレは恐らく出来合ののものだろうけど、甘口でいける。ごはんとおみそ汁は今ひとつかな、というとこも多いんだけど。
そういえばよく、非日本人経営というだけで、頭から「本当の日本料理じゃない」「おいしくない」と決めつける人っているけど、これも考えたら失礼よね。例えば逆に、フランス人に「外国人やっているフレンチレストランは駄目」って決めつけられたりすると、 日本人シェフはやはり立腹するだろう。・・と思いつつも、そういった発言も少し納得できるのは、非日本人経営のエコノミークラスのレストランはなぜか判で押したように同じ店構え、同じメニュー、同じ口取りなんだ、今のところ。まるで、非日本人経営的sushi,yakitoriレストラン協会なる物があって、そこで決められた店構え、メニュー以外はやっちゃいけないと決められているかのようだ。
口取りはキャベツの酢漬けサラダ一辺倒なんだけど、口取りになるものはぱっと思い付いただけでも、酢の物とか、ひじき、おひたし、冷や奴とか白あえ、いんげんの和え物とか、無限にあるではないか。代わりにお漬け物でもいいぞ。白菜のお新香なんてつけてくれるとうれしいんだけどなあ。そういえばお漬け物が出してくれるとこ、ないなあ。あと鮭以外の焼き魚(アジなんかこちらでは雑魚扱いなので安いし、炭焼きにしたら美味いだろうなー。)、煮物とかコロッケなんかメニューに入れたりしてくれちゃうと、「おおーっ」と思うんだけどな。というわけで、串焼きは気に入ってるけれども、それだけに他のものをいろいろ研究して頑張って欲しい、そう思うこの頃。まあ、安いからね、仕方ないか。
7月30日
紀子さん?
紀子さんという方からメールが来た。
タイトルは「紀子です、覚えてますか」で、内容は 「32歳専業主婦の紀子です。前にアドレス交換したんですが… 結構前だったから忘れたかな? もし覚えてたら連絡欲しいです。最近は毎日平凡で退屈で… 刺激が欲しくて、刺激的なメールしたいです。 」
・・いくぶんぶしつけというかなれなれしいけど、このサイト経由で去年あたりにメールを下さった方の1人かなあ、と思った。前のメールはこんな感じではなかったと思うけど、初めてのメールよりはリラックスして書いてるのだろう、と思った。去年のメールは使用しているPCのハードディスクにまだ保存してあるので調べてみたがない。ということは一昨年かな。年取ると、最近と思っていても平気で2年くらい経っているものだ。しかし一昨年のメールはMOの保存してあって、MOドライバを接続しなきゃいけない。
ええい、面倒だ。そのまま返事を書き正直に「ええと、これこれこんな内容のメールを交わしました方ですよね。違っていたらすみません。私は育児と絵描きと仕事とで、刺激的とはほど遠い生活を送ってます。」などと書いて返信した。しかしこれがすぐ宛先不明で戻ってきてしまった。
相性の悪いドメインとかあるのか、このnoosから送るとダメだけど、 yahooのアドレスから送ると無事届いたということもあったので、たまにしか使わないyahooアドレスから送った。しかしこれもダメ。すぐ戻ってきた。 どうしよう、紀子さん、返事が来ないって気を悪くしないだろうか。もう一度文面を見る。なんかやっぱり妙だ。ふと思い付いて、この紀子さんのアドレスをコピーしてgoogleで検索してみた。・・するといくつかヒットした。いずれも、「スパムを晒すサイト」「スパム・迷惑メール一覧」だ。つまり紀子さんはスパム。
がーーん。こんなのに引っかかってしまった。リンク先が表示してあるのは片っ端から消してるが、これは上記の文章だけなので気づかなかったよ。 しかし、返信もできず、リンク先もないスパムメールっていったい何のため?この世界は詳しくないのでよくわからん。それで思ったのが、ちょっと飛躍するかもしれないけど、初期の「おれおれ詐欺」。あんなのに引っかかる人が後を絶たないのか・・、と思っていた。「おれおれ」って言われて、「あっ、ああ、**ちゃんね」 ってなるかなあ?って思ってたけど、「紀子です、覚えてますか?」と言われて、ええと、あの人だったけ?そういえば、メールもらったかな、それともあの集まりでメールアドレス交換した人かな?・・と返事しちゃう私も人のことは言えないほど間抜けなのであった。
6月28日
フランス人は、裸が好きである。もう言い切ってしまう。中にはそうでない人もいるかもしれないが、映画、テレビ映画、コマーシャル、ポスターと裸がいっぱい。その見せ方はしばしばわざとらしくもある。日本ではコマーシャルには裸寸前、というのはあっても、まともに胸を出すことはない。こっちはわりと真面目な薬用っぽい石けんのCMにしたって裸の女の人が画面いっぱいに出てきて身体を洗ってる。時間帯を問わす結構男女の絡みなんかも出てくる。 香水のCMやポスターも官能的なのは多い。車のCMですら、そうだ。いちゃついている男女、いったい何のCMかと思うよ。アムールの国ゆえか。で、まあ 子どもの見てる時間帯でも、そういうのは出てくるが、まあ単なる裸体ならいい。誰でも風呂では裸だ。しかしだね、朝の子ども番組の時間枠で、シリアルやおもちゃのCMにはさんで、若い男女が裸でいちゃつきながら(ではないかもしれないがそう見えた)シャワーを浴びてるCM流すのはやめて欲しいの!たまげたよ、さすがにフランスとはいえ。ちなみにTF1(1チャンネル)で午前8時台です。英語学習を兼ねたアニメが放映されていて、学習ものの好きなうちの子は、熱心に見ていたが、その枠内でのCM。番組終了後でなく、番組の合間だよ。子どもの時間だよ。しかしさすがに、こちらにもお堅い人は多いし、厳格なカトリックになると、日本人どころじゃなくそういうことには厳しいので、恐らくクレームが行くだろう・・と一瞬思ったが、厳粛なカトリックの家庭はもしやTF1見ながら、朝食を食べたりしないか。
6月29日
最近なつかしのウルトラシリーズのサイトなんてよく見ている。ウルトラQは恐らくは再放送で見てたと思うのだが、恐ろしいことにウルトラマンやウルトラセブンはリアルタイムで見たんだよなー。加えて言うとタマミ(楳図大先生の赤ん坊少女)もリアルタイムで・・。年がばれるな。
ウルトラネットサーフしてるうちに、ウルトラQのオープニングが無性に見たくなって、あの有名なロゴとギギィーという効果音、絶対どこかのサイトで見られるはずだ、 と検索したら難なく見つかった。 こちらです。
今日これ見つけてから何回繰り返しこのページを見てることだろう。
しかしこんなもんばっか好きなもんだから、色気なかったのよね、私。ま、いいか、色気で勝負の年でもなし、開き直って、おたく全開!そのうちこの辺のおたくな話題を盛り込んだページを端っこの方に開こうかな。
6月20日
ここ2,3日最高気温が30度を超すほどの暑さ。バスを待ってたとき日差しがあまりにもきついので、後ろの方の木陰に移った。そうするとほかにもアジア系の先客が。言葉を聞いているとベトナム語のようだ。彼女たちの知人もあとから来てアジア人ばかり木陰で待っていた。太陽が出ているとわらわらと日向に出る習性のあるフランス人(と言うか大抵の欧米人)は直射日光の下で待っている。春とか初夏ならわかるが、暑い晴れた夏の午後は大抵の日本人なら日陰に行くか、日傘を差すかするが彼らはそういうことはしない。帽子もあまりかぶってないし、カフェなどでも30度ちょっとぐらいなら陽の当たるところにいる(さすがに一昨年のような酷暑だとさすがに誰も日向にはいなかったが)。蒸したバスの中ではみんな扇子や紙なんかでパタパタしてるものの、普段は少しぐらいの暑さで汗を拭き拭きしてる人はそう多くない。
ベトナムも暑い国だし日本も夏はフランスより厳しい。われわれの方が暑さには慣れているはずなのに、意外とこっちの人の方が暑さは平気みたいだ。そこでフランス人に聞いてみると、こっちは灰色の気候で、太陽が恋しいから、と言うが、私ももう12年いるけど別にそんなんにならないぞ。フランスで生まれの、両親が日本人の知人も、暑い日でも日向に座ってるフランス人を見て「何であいつらこの暑いのにいつもああやって陽の下にいるんだろう」と言っていたので、これは環境によるものというより、身体的なものからくる、つまり 皮膚の構造とかのせいだろうか、謎だ。などと暑いのでくだらんことをぼーっと考えているのであった。
ただし暑さは平気とはいっても、自覚症状がないだけで、 実際は身体の方は参ってるようで、この暑さで熱射病になったり脱水症状になったりして、続々と病院に運ばれて手当てされている人々がニュースで映し出されていた。
6月某日
万博のフランス館は娯楽性が低かった。お隣のドイツ館は、自国のテクノロジーを見せるのに、子供たちも楽しめるように、ところどころゆるいジェットコースターにもなる乗り物に乗っての見学で人気があっっていつも長蛇の列だったが、フランスの方はそういうアトラクションはなく、大抵はガラガラ。大部分の庶民は結構ミーハーなはずなのに、これがフランスです、と見せるときになると、エンターテインメントに徹するのは抵抗があるのか、やっぱり芸術性や文学性などを重視するお国柄である。とはいえ、芸術という観点からはイタリア館の方が充実してたけどね。
環境やエネルギーについてが地球博そのもののテーマであるが、フランス館はより直接的にエコロジーについて訴えていた。しかしフランスの庶民に関して言うと、環境だのエコロジーだのに関する意識はずっと低かった。最近になってようやくゴミの分別がなされるようになったが、しかし普通のゴミのところに瓶なんかが平気で混じってたり、その逆もありでまだまだ、お構いなしの人も多いようだ。
しかしここのところ軒並みスーパーが無料袋を廃止して、袋は持参か有料のものを買う。今恐らくパリ市内に一番店舗数の多い、フランプリというスーパーのやってることはなかなか感心する。60セントくらいだったかの袋、繊維入りでなかなか丈夫なのだが、ひとつ買えばこれが破れたりして使えなくなると新しいものに無料で変えてくれるというもの。
でもその袋を持参してればいいが、結構かさばるので、仕事のカバンには入れられない。かといって、毎回買うのはもったいない。大体今までただだったものにお金を払うのがすごくもったいないように感じてしまう。てなわけで、仕事の帰りに買い物するということが少なくなった。
そういえば無料袋はごみ箱用にしてたが、 これからはゴミ袋も買わなきゃならなくなるけど、それももったいないと感じるのであった。しかし、この無料袋廃止の傾向は、進歩でしょうな。
5月14日
ここ数年、実家に帰るたびに図書館を大いに活用する。子供の本を借りるためが第一だが、自分も読みたいものが沢山ある。ちなみにうちの母は私が小学生の頃から図書館に行くのを好まない。理由は簡単。性格がずぼらなので、すぐに延滞してしまい、しょっちゅう図書館から催促の電話がかかってきたせいである。しかし、当時は期限は1週間、借りられるのもせいぜい2冊、だったが、今はもっと沢山借りられ、3週間も期限だ。これはさすがにうっかり延滞してしまうことはない。
なぜか子供はフランス語ですでに読んだ本、自分の持っている本の日本語版があると、借りたがる。知ってる本だとうれしいんだろうな、気持ちはわかる。
私は小学生の時読んで好きだった本など借りてみる。20代頃までほとんど欧米文学一辺倒だったのは、小学生の頃読んでたのが、外国の童話だったりしたためだと思う。ファンタジーよりのものをよく読んだし、好きなのも多かった。そんな中、当時印象に残った2つの本があって、ひとつは今でも入手可能のエリナー・ファージョン「銀のシギ」(私の読んだ版は「銀色のしぎ」で、これはもう絶版のようだ)、これはここの図書館であったので借りてきた。 もうひとつは 「二ばんめの魔女」誰も知らないと思う・・。これは「かいじゅうたちのいるところ」でしられるモーリス・センダックの兄か弟であるところのジャック・センダックの作品。調べたら、国会図書館にはあるものの、この図書館にも県図書館にも名古屋市内の図書館にも見あたらない。なにせ、日本で発行されたのは1969年、国会図書館、国際子供図書館に置いているのもその年ので、どうやら、その後重版とかでていないような感じなのだ。オリジナルはアメリカで、これももう絶版のようだが、なぜか最近、アマゾンで検索してたら、日本からこのオリジナルの英語版が入手可能だとわかり、さっそく注文した。フランスを発つ数週間前に発注して、普通なら日本にいるうちに届くはずなのだが・・。
好きだったと言いつつ小学校の2,3年生当時借りて読んだきりなので、ほとんど、ストーリーは覚えてないけど、ちょっと切ない感じの、主人公の魔女が魔力をなくすみたいな話だったと思う。手で顔を大手しくしく泣いている挿絵を覚えている。
でも自分が読んだ日本語バージョンをまた読みたいので、一応図書館の方に聞いてみる。すると、他の図書館にあれば、取り寄せすることできるので、聞いてくれるということだ。あれば一週間くらいで 着くと言うことだが、一週間後はもうフランスに帰る日。今実家に来てるけど、もうすぐ帰るので今回はいいです、と言ったのだが、間に合うかもしれないしまあ参考までに一応問い合わせしておきましょうか、と言うことだが、間に合っても読んで返す時間が恐らくない。だから次回にします、と言って帰ってきた。
翌日、図書館から電話があり、熊本と神奈川だっけな?の図書館から取り寄せ可能だということだった。あらー、いいって言うのに問い合わせてくれたんだ。いやはや、恐縮、でも感激。この担当の司書の方は本当に本が好きで、司書というお仕事が好きだという印象を受けた。今回は借りられないけど次回の楽しみに取っておきます。アマゾンで注文した洋書の方も、表紙を写真で見た限りとっても素敵な装丁なので楽しみだ。
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→でこれには後日談がある。フランスに戻ってきてしばらくすると、アマゾンからsecond witch、お知らせした期日に間に合いそうにありません。ご迷惑おかけします、と言う内容のメールが来た。そして期日は1ヶ月以上先になっていたが、またメールが来て、入手可能かと思っていたら現在入手できないことがわかりました、ということ。激しくガッカリ・・。でもまた再度注文。入手不可能なはずなのにまた注文できるのはなぜだろう・・。
5月某日に思うこと
日本に帰る日が近づくにつれ心躍る。帰国前というのは買い物したり、支払いの漏れがないか郵便物を確認したりと、それもまた楽し。やはり日本はいいもんだ。昔はあんなに海外に脱出したかったのにね。昔知ってたところがちょっと知らない間に変わってしまう、というのはよくあり、寂しくもあるものだが、その変化すらも、ああこれが日本よ、と「変化の早さ」というものに懐かしさを感じてしまったりする。特に最近実感するのは感じたのは、水と空気の柔らかさね。 湿度が高いのは鬱陶しいと昔は思ってたが、いやいや、湿気のある空気が愛おしい。望郷の念か?
日本にいるときは、ああ、もう1週間経ってしまった、とかあと数日、とかフランスに戻る日のことを思い寂しくなる。在仏が何年も年過ぎたあたりからそろそろ日本に帰ろう、ともよく思う。子供もいるし今はそう簡単には決断できないが、子供も日本を気に入ってるし、最終的にどちらを選ぶかは別にして、バカンスの間だけでなくある程度長期に渡って日本に住み、子供を日本で教育を受けさせるという期間ももうけたいと思っている。それがいいか悪いかはわからないが。
なんて書いているとフランス生活に嫌気が差しているのかと思われるかもしれない。でもそうでもないのだ。 日本にいるときの方が、センチメンタルだったり、意味もなく気分が沈むことがある。何より朝目覚めたときから起きあがるまで、布団の中でわけのわからない小さな不安感にさいなまれることがあり、これはちょっとしんどい。大きな不安じゃないんだけど、心穏やかではない、心臓がトクトクとする感じ。
フランスではそういうことはない。いつもからっとした気分だ。憂うつなときがあるとするとそれは原因があるとき。訳もなく滅入る、というのはない。
テンションが下がるのは大体、実家滞在前半の頃だ、正確に言うと数日過ぎてから半ば過ぎ頃まで。そのあとはもう後半だ、あれやってないあの人にも会わなくちゃこれもこなさなきゃ、って感じでバタバタと過ぎてくので、そんな気分も吹っ飛んでしまう。考えてみるに、これはフランスとか日本の風土そのものが影響してるというより、暇だと気分が沈むのか。 それともここには自分は本当には所属していないという欠如感のようなものからか。
何でなのかよくわからないけど、日本に帰りたい気持ちもあるのだが、もし実家とこのアパートを結ぶドラえもんのどこでもドアがあれば、おそらく、私はこっちのパリ側で過ごすことの方が多いあろう。
4月末日
私の実家は瀬戸物の街瀬戸にある。今は万博で沸き立っている。
さて万博、さっそく行ってきた。入口では持ち物チェックを入念にして、そのあと装置の下をくぐるのだが、係員の若い女性が顔色を変えて駆け寄ってきた。
「妊婦の方ですか!?」どうも妊婦はこの装置をくぐらない方がいいようである、が私は妊婦ではない。突然の問いかけにとまどった私は、結構ぶっきらぼうに答えたのだと思う。
「・・違いますけど。」1、2秒の沈黙。そう、私はストンとした楽なワンピースを着ており、さらに下腹部がぽっこんと出ている。
「失礼しましたっ!」と深々と頭を下げて立ち去る係員。運動せにゃあなー。出産後のお腹たるんだとは思っていたが、そのまんま戻ってないよ。出産後って言ったって、一体いつのことだ。
ま、それはおいといて。
さて、国際万博の事務局というのはパリにあり、いまをさること8,9年前だろうか、まだ日本が万博候補地の1つに過ぎなかった頃、瀬戸や愛知県の方々が誘致のためパリに来られた。ちょうどその頃に、フランスにおける日本年があり、誘致と日本年を兼ねた行事やらパリ日本文化会館が開館式やらと、いくつかの行事があり、私もパリ在住の瀬戸人として、ささやかながらお手伝いをしたことがある。そんなことがあったせいもあって、開催地に選ばれた時はうれしかったし、うまくいけばいいと思っていた。しかし、開催が決まったあとはご存じの通り、ケチのつきどおしである。
この盛り下がりようで本当に万博は開催されるのであろうか、中止になっちゃわないのだろうか、と心配になったこともあった。 結局ほとんどのパビリオンは長久手会場に建てられた。メインのゲートも長久手側だ。リニモも通らないし、エキスポシャトルも瀬戸の駅はすべてとばしていく。
ところで私は小さい頃からわりと所属意識のようなものが希薄な方で、オリンピックやワールドカップ見ても日本ガンバレってのがないし、自分が参加してるクラス対抗の行事でさえ、自分の番さえ終われば関係ないやって感じだった。しかしなぜか地元意識に関してだけはほかを補うように高い。
街が栄えて欲しいと思うし、誰かが瀬戸が好きだというとうれしい。だからもし日本初のリニアモーターカーが瀬戸の街を走ったとしたら、とてもうれしかっただろう。
それにしても瀬戸はいつも町おこしがこけてる気がする。
古くは中央線の建設、これは瀬戸を通るはずだったらしいが、汽車の火の粉が飛んで火事になるとかで住民が大反対。川をはさんでこちらが瀬戸、あちらが春日井市という春日井市側の方に通ることになった。そして長いこと瀬戸には名鉄電車が通ってるのみだったが、70年代に入って旧国鉄が岡崎と多治見を結ぶ岡多線の建設をはじめた。70年代半ばに完成するはずが、赤字路線必須ということで途中で凍結してしまった。そして何年か後にやっと第3セクターの運営ということで、愛知環状鉄道という名でなんとか開通した(しかし多治見市までは通らなかった)。
前述のエキスポシャトルは、名古屋から万博会場まで行く急行列車だが、名古屋から中間地点の春日井まではJR(上記の中央線)上を通り、そのあとは愛環線に乗り入れ、線路のみ借りて万博会場までノンストップ。つまり本当に線路を借りるだけで、我が町を南北に走る愛環線の駅にはいずれ求まらない。そりゃ、愛環線のホームは短い。しかし会場となっている瀬戸市の中心の駅 くらいホーム長くして止められるようにして欲しいわよ。でも瀬戸の人は、それほど街が栄えることには執着してないのかもしれない。彼らは外に出かけるのが好きだ。例えばお買い物。瀬戸人にとってお買い物するってことは「ハレ」の行事なのである。つまりよそ行きの服着て、瀬戸市内ではなく名古屋のデパァトへ出かける。 そんな懐かしい文化がまだ生きている。だから瀬戸はその面積(実はパリの面積とほぼ同じ)と人口のわりに中心の市街地も寂れている。アーケードなどは昭和30年代くらいで止まっている。なかなかレトロでいいんだけどね。
瀬戸ではないが今ちょっとした名古屋ブームなようでで、ここら辺はかなり勢いがある、これは結構うれしいことだ。
4月24日
日本に到着。話題のセントレア、中部国際空港着である。
さて、到着のちょっと前成田でのことだが、フランスでのドライな対応に日頃から慣れてる私に新鮮に映った出来事があった。
国内便のチェックインの時のこと。機材が小さいので荷物が全部載せられない恐れがある、その場合、一部の荷物を別便に載せ、宅配便として送ることになるというということだ。そうなった場合、急ぎでないつまり別便にしても構わない荷物があれば協力して頂きたい、とチェクイン・カウンターの係員に聞かれる。うーん、一時帰国なので、衣料とか日用品とか全部入ってるので・・、と非協力的な返事をした私。
そして、結局は全部の荷物を載せることができたのだが、搭乗口から飛行機までのバスの中で係員が、別便で送ることを承諾してくれた人たちの名前を呼んでは、返事をした人の前に行き、1人1人に深々とお辞儀しながらお礼を言う。
「荷物は全部載せることができました。ご承諾どうもありがとうございました。」
あくまでも謙虚な姿勢。ああー、日本に帰ってきたんだわー、と実感。
これがフランスだとどうなるか、とさっそく想像してみる。とりあえずお礼は言うだろう。
「皆さん、お喜び下さい!荷物は全部載せられました。」
という感じで、まあ セリフ自体はそう変わらないのだけれど、しかしあくまで私たちスタッフがうまくやったので載ったんだよ、という姿勢を忘れないだろう。
3月15日
忽然と・・(妄想日記その2):
こうやって日記などを書いていて読み返すと、どうもやや妄想癖がある気がする。
今日は子供を幼稚園へ迎えに行ったあと、スーパーによりその帰り道での出来事。子供は私より先を走っていく。うちの前の道路は広くない割には大型車やバスを含み交通量が多く、歩道の幅も小さい。建物の地下駐車場から車が不意に出てきて、その拍子にで車道に思わず飛び出すといったことも考えられるので、この通りでは走るなと日頃から言ってはあるのだが、その時いた場所からうちのアパートまでは駐車場の出口はないし、路駐の車が車道側をガードした形になってるので、そのまま走らせておいた。
うちのアパートのは手前の建物から少し引っ込んだ位置にあるので、同じ通りに面してるが、手前の建物のところで、少し左に曲がる感じになる。だからその先はその建物の手前からだと死角になり、そこを過ぎた子供の姿は見えなくなる。姿が見えないと何だか心許ない気がしてくるが、でもどちらにせよその先10数メートルはすぐうちのアパートだ。私は買い物の荷物と子供のリュックサックを両手に持ってたので走らずにその角のところまできた。
さてその角のところを過ぎたが、もう子供の姿は見えない。ずいぶん足速いのだな。入口には柵があり門がある。大抵1人では入らず、門のところで待っているのだが、今回は1人で入ったのだろうか。ちょっと心配になり、私も駆け足で門の方に急ぐ。エントランスホールには姿が見あたらない。建物の入口はホールの奥にあるが、まさかそこまで行く時間があったとは思えない。門のところは段差が大きいので子供だと特にそこを開けて上がるのに少し時間がかかる。
きっと車の陰にでも隠れてるだろうと、路駐の車の間を探す。いない。この時点でかなりあせってきた。ついに子供の名前を呼ぶ。返事がない。もしかして、さっき手前の建物の扉が開いていてそこにすばやく隠れてしまったとか。大声で呼ぶ。何度も呼ぶが返事がない。一瞬のうちに手を引っ張られて車に連れ込まれたとか・・、と想像(妄想?)はふくらんでいく。もはや、半分泣き叫んで呼んでいたようで、通りがかりの女性が「一体どうしたの?!」と声をかけてくれる。「子供が、子供が突然消えてしまったのですー。」そばを通りかかった別の男性も「え?そりゃ大変だ。」と探してくれる。半ばパニックに陥っていると「いたよー」と件の男性が、ばつの悪そうな様子のうちの子を連れて出てくる。「え?え?ありがとうございます。でもどこに?」「そこの建物の中にいたよ。」とうちの方を指す。え?そんな建物の中というのは除外して考えていた。ほとんど瞬間移動だ。いやはや、お騒がせ。助けてくれた人々が去るのを待って、門のなかに入る。だって、これが自分ちのアパートじゃないのなら言い訳が立つけど、客観的に見れば、 結局は子供が先に家にたどり着いたってだけだよね。ああ、恥ずかしい。顔見知りの人、近くにいなかっただろうか。
この話を電話で母にすると、一瞬のうちに車で連れ去られた子供の話というのは聞いたことあるので、焦るのも無理からぬと言われたが、これは普段うちの中で、タンスの中に隠れたりしては子供を驚かせて喜んでいる私に対しての仕返しだろうと話すと、「あんたもねー。」そんなバカなことしてる私が一番悪いそーな。そりゃそーだ。
3月11日
罠?(妄想日記その1):
昨日の疲れが残っているのか、昨日の仕事に不満が残ってたのでそれを考えては上の空になっていたのか、どちらにしても言い訳にならない。重要な書類をバスに忘れた世紀の大馬鹿者の私。運良く書類に印刷された会社の連絡先を見た市バスの運転手がすぐにオフィスに連絡してくれた。そしてオフィスから「書類忘れたでしょっ!」電話があったとき、まだ書類を忘れたことさえ気づいていなかった私は、「へ?書類、ありますよここに。」なんて答えた。念のため確認を、とソファの上に置いたカバン類のあたりを見てみる。書類の入った袋がない。ずぼらなので、コートが脱いだままソファの上に放ってあるのでそれの下かとめくってみるがない。えっっ、ショック・・、本当に忘れたらしい。
今日中に、バスの終点にある詰め所兼オフィス取りに行かねばならない。午後7時過ぎると閉まってしまい、忘れ物は遺失物預かり所に送られてしまう。そうなると明日の仕事に間に合わない恐れがある。すぐに取りに行きたいが、今日はそのあと1本仕事が入っていたのでそちらを済ませてからでないと行けない。しかし昨日から疫病神がくっついてるのか、これも何だかうまく進まない。
ストは終わったはずなのにやたらとメトロやRERの来るのが遅く、乗り替えのたびに長いこと待たされる。そして駅に着くと今度は人の波。私の行く手を皆がさえぎる。やばい!ぎりぎりだ。通せー通してくれー!!余裕を持って出たはずなのに・・。先方を待たせるようなことがあったらまずい。遅刻は許されないのだ。何だか物事が私を失敗へ失敗へと導いているような気がしてくる。書類を忘れた上、約束に遅れたなんてことになったら、もう私の信用はガタ落ち。しかしなんとか無事間に合う。
さて、一仕事終えて次は書類を受け取りに行かねばならない。しかし、こんなに私を失敗へと導く要素がいっぱいな割には、書類がラッキーにもすぐに見つかり、しかも向こうから連絡してきてくれた。こうまで失敗+不運続きの中の幸運となると、なんだかこれは罠のような気がしてきた(なんの罠だ?)。このバス停の終点オフィスのあるところは結構寂しい通りじゃないか。そういえば昔々であるが、知人がこの辺ででかい兄ちゃんに囲まれてハンドバッグをひったくられたことがあった。 いやな予感がしてきた。
などと、妄想を膨らませていたが、何ごともなく無事書類は戻ってきて、バスに乗る。前のバスはでたばかりだ。しばらく待たねばならないのだろうと思ったが、私が乗るとすぐ扉は閉まった。しばらくはぼーっとしていたが、ふと窓の外を見ると、あれ?ここはどこだろう?いったん環状道路に上がる。え?環状道路?この路線にこっち側の終点から乗るの初めてだが、大体このバス環状道路なんて通るのか?ぐるぐる回ってるので方向感覚が変になってるが、なんか市内に行くのと反対側に向かってる気がして、標識を見るとパリとは反対、南の郊外方に曲がった。その地区は荒れていることでは定評のあるところだ。さすがに体から血の気がさーっと引いていった。 そういえば2両連結のこのバス、後ろの車両に後ろにもう1人大柄な乗客がいたはずだがグルか?怖くて振り向けない。
こちらのバスは始発の時は、ドアを開けたまま止めてあり、運転手が最後に乗ってきて出発する。車には万能キーってあるらしいのでそれを使えばバスを乗っ取るなんて簡単にできるんじゃないか。運転手はそんなふうに見えなかったが偽物?大体前のバスが出て1,2分でまた出るのも変だ。 次で降りようと思うがそもそもバス停のある通りを走ってない。変だ変だ変だ、やっぱり罠だった。降りよう、今なら周りも交通量多いし、ドアを開けて暮れなきゃ窓にはりついてSOSのサインを送るのみだ。「あの、ここでおろしてもらえません?」と聞く。「なんで?」「間違えて乗っちゃったようです。」「どこ行くの?」と、このやりとりの間にバスはぐるりとロータリーを周り、パリの方に向いた。行き先を告げると、「ああ迂回してコースがちがうけど通るよ。」の返事。落ち着いてよく後ろを見ると、後ろの乗客の1人はおばさんだった。大柄だったから男だと思ったよ。それでも迂回コースは正規のコースとかなりずれていて、いつもの道に戻るまでちょっと不安だったが、無事目的地に到着。
考えてみたらそういう能力に一切欠ける私は、嫌な予感とか直感とか、正夢とか、当たったためしがないんだ(そもそもは「そういう能力」っての自体信じてないのだが)。 でも、うまくいかない時って本当に何もかもうまくいかないし、そういう予感にさいなまれているとき、コースのわかっているおなじみのバスが郊外の見慣れない道を反対方向に走り出したら、やっぱりゾーッとするよ。
3月10日
本日はストライキで公共交通機関は本数が減らされ、空の方も飛行機のキャンセル便が相次いだ。
幸い私は仕事に行くのにタイミングよくメトロが来たので、5分の1本というのを感じずに済んだのだが、問題はそのあと。まあ細かい内容はここでは割愛するが、ストのせいですべてが大混乱。お昼過ぎ間に終わる仕事が夜までかかった。物事が悪い方へ悪い方へ上り詰めていく時は、胃が締め付けられるような感じを味わった。普段余りストレスというものを感じることがなく、そもそも「ストレス」というのがどういう状態なのかよくわからなかった私であるが、今日身をもって実感いたしました。それらの件は全部ではないがいったん小休止という感じで、なんとかその日の仕事には片をつけ、帰りのタクシーに乗り込んだ。タクシーの運転手は暗闇に笑顔が浮き上がっているような優しい顔つきのおっちゃん。すでに老年の域に入ってるくらいだろう、安堵感のあるほわわーんとした空気に包まれたようなこのおっちゃんに、思わずことの始終を語ってしまった。降りるときに、愚痴言っちゃってごめんね、というと、向こうもおしゃべりできて満足だと言ってくれた。ちょっと今日はめげそうだったが、最後にタクシーのおっちゃんの笑顔に救われた。 また会えるといいなあ。2月26日
パンを買うため朝アパートを出ると、まただ。臭い・・。例の浮浪者がまた階段室で寝てるらしい。(詳しくはこちらをご覧下さい) 最初は驚いたがもう今では正体わかってるから怖くはないが、なにせニオイは強烈だ。何とかして欲しいが、でもここのところ2月の下旬としては珍しいくらいの寒さが続いてて、さすがにこの寒さの中通報するのは酷か。自分だけ悪者になりたくないものだから、誰かが気づくのを密かに期待する。パンを買って戻ってきたあと、近所の人が出入りする音が何度かする。さすがに鼻でも詰まってない限りあのニオイには気づくよね、とご近所の方頼み。
しばらくして子供を連れて、外に出るとニオイは廊下中に充満して一層きつくなっている。子供も廊下に出るなり「ううっ、くさい!」と言う。ええ?誰も気づかなかったのか、知ってて見のがしてやってるのか。でもちょっとこのままじゃぁ、そのうちアパートの中に臭いが侵入してくるのは確実。
最近は管理人のおじさんとちょこちょこと雑談するので、まあ話のついでにちらりと言えばいいか。というわけで、あくまでも手紙を受け取りに行ったついでという感じで、「11階の廊下、すごい臭いんですよ、なんというか・・」と言いかけると「なに?また浮浪者か?」と聞く。「い・・いえ見てないので何とも言えないんだけど、そっち系の臭いだと思います。」と言うと、「気づいたら即連絡してもらわんと!つい2日ほど前にも夜間入り込んでたの夜警が見つけたし。いいね、これから見つけたら、17番(110番)に直接連絡してくれ。今後のセキュリティー強化の理由にもなるし。」と怒られてしまった。110番通報はちょっとかわいそうだという気がするが、いずれにしても管理人やガードマンに言っても彼らから警察を呼ぶから同じだという。常習犯なのでちょっと注意したぐらいでは立ち去らないどころか、「これからも何度でも来てやる。」という捨てぜりふさえ吐くしまつ。ほかの人もこのニオイ訴えてきたか聞くと、ほかの階では時々そういう通報はあるようだが、10階11階は誰も何も言ってきたことがないという。でも気づかないはずはないから、やはりみんなそっとしてあげているのだろう。こういうところは寛大だ。やはりは博愛の国か。日本だと、あんな強烈な臭いが充満していても、誰も何も言わないということはまずないと思うが。
2月17日
フランプリというスーパーが街のあちこちにある。1件ずつの規模は小さめだし売ってるものの種類も多くなく、珍しいものはないが、価格が安めなせいかどんどん増殖している。ここではお買い物の楽しみというものは全く味わえないが、近くに何件かあるので、日々の買い物はここで済ますことも多い。つまりは家の近くの八百屋さんてな感じだ。みんな似たり寄ったりだが、多少の特徴はある。一番近いところはドイツパンが豊富だったり、もう少し遠くの方は、不定期に店先で行商が衣料だったり野菜だったり、売っていることがある。さてその行商が来るフランプリの話。本日はジーンズ売りだ。売り子は濃い顔の兄ちゃん2人組で、本人たちもあまりきれいな格好してなければ、売ってるジーンズも雑につるしてあるだけだ。しかし値段はというとtout a 70 euros(どれでも70ユーロ)と書いてある。ほぼ1万円、そりゃ、ちゃんとした店行けばもっと高いジーンズはざらにあるが、一般のブティックチェーンだとジーンズなんて、店にもよるがこの半額だ。近所の八百屋前の露天でこの値段?見間違いかと思って、出るときもう一度見たらやっぱり70ユーロだった。買った人いるんだろうか。それともよそで買うとずっと高い、ブランドものが流れてきたのだろうか。謎のままです。
1月31日
自画自賛:
私は昔からマイペース、おっとり、のんびり、という言葉で形容されることが多く「てきぱき」とは対極に位置するようだ。 しかし、それは雰囲気が作り出しているのであって、確かに時間的に余裕があるときはゆっくりしてしまうが、その気になれば早いんだ、と自分では思っておる。「のんびり」くらいならいい、ときどき「のろい」と思われることもあるんだが心外だ、全く。足だって速かったし(今は知らんけど)、トランプの「スピード」という早さが勝負のゲームも強かったし、と言ったところでこれらは「のんびり」な性格とは別物か。
しかし今日の私はあとで思い返してみると素晴らしくてきぱきしていた、と思う。
子供が風邪でちょっと熱っぽく、前日に往診で医者に診てもらったばかりなので、今日は幼稚園に連れて行けず、しかも私は午後から仕事なので、朝遅い時間にパピー&マミーの家に連れていった。買い物して家に戻ってくると11時半をとっくに過ぎている。 1時前には家を出なきゃいけない。しかし、私はこの1時間ちょっとの間に、メールチェック、掃除機かけ、洗濯、シャワー、着替え、コンタクト装着、メイク、調理、食事をしたのだあ。洗濯は、色別にネットに入れ、ちゃんと干すところまでやったし、手洗いのものは別に、汚れを洗濯石けんでこすりとり、つけおきだ。食事は簡単にスパゲティだが、ソースは出来合のものではなく、生トマトとバジルを入れてのお手製だ。さすがに食器洗いまではできなかったが、どーだっ!てきぱきしてるね、って言ってやって下さいー。え?そんなのあたりまえって?
1月30日
ちょっと前、パン屋さんに言ったときの話。私の前に並んでいたおじさんが、ポケットからハンカチを出してブーッと鼻をかんだ。例のごとく、何回も何回も鼻をかんでいるであろう、くしゃくしゃになったかなり汚いハンカチである。私はそれをすぐ後にいたので間近に見てしまい、「うへー」と思っていた。おじさんはレジの前でパン屋さんとおしゃべりをし出したので、パン屋さんは相づちを打ちながらも、私のバゲットを出してくれた。そうしたら、おじさんは親切にもそのパンをこっちに渡してくれようとバゲットに手を伸ばすではないか、灰色に変色したハンカチを握りしめていたその手で・・。おーっとぉ、とすんでのところで自分でサッと取りにっこりと「メルシー」、親切からしてくれるんだろうが、でもやなの、ごめんね。
この話をしたとき子供の父親Fは「げーっ、そんな手でパン触られちゃおしまいだよー!」なんて言っていた。そう、彼は布のハンカチで何回も鼻をかむのは許せないらしい。まあ、若い人はもうみんなティッシュペーパーだけどね(でも何回かつかう人は珍しくないが)。
しかし、今日食事のあと後ろで「ブーンッ!」とFが鼻をかむ音。そのあとテーブルの上を片づけてたら、丸めてちょっぴり湿ったティッシュが・・。 「なにーっこれ!こんなのテーブルの上に置いて!」というと「あ、それは鼻をかんだだけだって。」という答え。え?それより汚いものがあるってか?そうか、別にお尻拭いた紙じゃなしってとこか。しかしねえ、テーブルには布のテーブルクロスがかけてあるので、そのティッシュの水分が移ってしまうではないか。その上にパンとか置くのだよ。 君もあのおじさんと大して変わらないではないか。ずぼらな私であるが、わりとこういうことは気になるのだ。でも、普通よね、これって?
トイレから出たあと手を洗わない人が結構多い国に住んでいると、なんか自分の方が神経質なのだろうか、と何が普通かわからなくなってくるのである。
1月24日
さて、そろそろ絵の方に取りかかろう、と思っている今日この頃。もうラフなど描いたりしてるのだが、どうも行き詰まるんだ、これが。そうするとこちらのサイト更新が活発になる。サイトがずっと更新してないからせねば、っていうときはなかなかしないくせに。ほら、アレですよ。例えば展覧会の締め切りが迫ってたり、学生のときだったら試験前なんか、そういうときになるとなぜか部屋が散らかってるのが気になり始め、ついお掃除に熱中したりとか、お料理なんかも普段作らないものを作ったりとか、まあそれと同じですね。
ふと思い出したが、私は遠い昔、大学入試の前日か前々日だかに、お米14kg入りの袋の中に何粒はいっているか知りたくなってしまい、数えたことがあった。何十gだか取り出しそれを数え計算したのだが、結局何粒だったかは忘れた。10万とか100万だった気がするが。いずれにせよ誤差が出るので、何回か数えて平均値を出さなきゃ、でもさすがにそれは入試が終わってからにしよう、ということにした。入試後はそんな興味は失せたのはいうまでもない。
1月22日
すり込みについて、である。いつかまた育児のコーナーでじっくりとそれについては語るかもしれないが、やはり親の趣味なんかは子供に反映されちゃうものね、って思う。絵本なんてやっぱり自分の趣味がどうしても入るし、気づくとアニメーションなんかも子供の気に入るものって私も好きなのが多い。情操教育上よくないものは遠ざけたりとか、意識的にすることもあるが、知らないうちにすり込まれる情報もいろいろあるわけで、気を付けなければならない。
うちは私も妹もムーンライダーズが好きで、今では妹の方がより熱心に聴くのだが、子守してもらっている頃も、よく彼らの曲をかけていたようだ。子供も結構好きになったみたいでお気に入りの曲がいくつかある。
ある日何か鼻歌歌ってるので聴いてみると「はい、はい、はい、はい、チーを下げてくださぁい」なんて歌っている。これは「はい!はい!はい!」という曲の「はい!はい!はい!はい! 銃を下げてはい!」の部分だ。しかしこの曲はおおらかな雰囲気のメロディーとは裏腹にかなり過激な歌詞である。
また「BEATITUDE」も好きみたいで「カールマにまみれてー」なんて歌っていた。さすがに3歳(当時)のこの口からカルマなんて単語がでてくるのはどうもよろしくない気がする。
子供といるときは子供のCDを聴くか、ジャズのFM局にチューナーを合わせておくのだが、たまに気分転換で変なものも聴く。で、子供の反応なんかも確かめたり。
ある日Sex Pistols をたまたまかけたら、頭を縦に振りながら聴いててご機嫌だ。 まあ、シンプルなロックンロールだ、子供にもわかりやすいんだろう、なんて最初はおかしがっていた。しかし気に入るとDVDなんかそうだが、まあよく飽きないわというほど観るが、"God Save the Queen"も繰り返し聞きたがるのだ。おいおい・・。英語だから意味はわからないだろうが、夢と希望に満ちた5歳児に"no future, no future, no future for you" なんてセリフ、こりゃ問題あるね。やはり、下手聴かせられない。
まあ、でもいつもお気に入りで聴くのは「しまじろう」やフランスの童謡集だったりで、ごくノーマルですが。
1月13日こちらでは毎週水曜日は休みだが、幼稚園の遊戯室がそのまま、託児所となり子供を預かってもらえる。バカンスの間もしかり。Centre Loisirという名称だが、直訳するとレジャーセンター。なんか変ですが、実際レジャーがあって、専用バスが出て遠足に出かけたり、公共交通機関を利用して映画や人形劇など見に連れて行ってもらったりとなかなかありがたい。
かかる費用は食事・おやつ代のみ。それらの請求はかなりあとで数週間分まとめてくるが、まあたいした値段ではない。市の施設なので、料金は親の収入によって違うのは幼稚園のレストランと同じで、料金のカテゴリーがある。
ところが最近来た請求書がことごとくカテゴリーが間違っていたのだ。 私の去年のカテゴリーは4であるが、数ヶ月前に受け取った、去年の冬の分、いつもに比べてやけに高いなあ、と思ったら、カテゴリー8としてある。おや、間違えたな、私はこんな上のカテゴリーになるほど収入はないぞ。
そして、私のカテゴリーが明記してある区役所の紙のコピーと共に送り返したが、しばらくしても戻ってこない。それを待たずして、春の分の請求が来たが、それもまた同じ。電話してみて、「レジャーセンターの件ですが・・」というと「ああ、カテゴリーの間違いね。」とこちらが名乗っても説明してもいないうちにそういう返事。よほど同種の問い合わせが多いのであろう。作り直すから送り返せとのこと。しばらくして作り直されてきたのはカテゴリー5。確かに今年はカテゴリー5だ。 しかし、これは去年の分、去年のカテゴリー4が適用されるはず、とまた送り返す。
そんなこんなでやっと数ヶ月後の先週、カテゴリーの正しい請求書が送られてきた。2日後にまた次の分、そのまた次の分が3日後に。うわー、いくらカテゴリーが訂正されたとはいえ、いっぺんに3通も来ないでよお。しかし、こういう間違いってわざと?そのまま確かめずに払っちゃったりしたら、「ちゃんと確かめない方が悪い」ってことになるのかしら。今回はいきなりカテゴリー8だったので、その請求額の違いで気づいたけど、私も抜けているので1つくらい上のカテゴリーだったら気づかずに払ったかもしれない。
こちらのスーパーなどでは明らかに値段を見間違えるような陳列の仕方をしてあることがよくある。 「奉仕価格!」と銘打った安売り製品のコーナーに、ちょっとものの良さそうなものも混じっている。これもその値段かな?と思うと値段がついてなかったり、かなり目立たない離れたところに書いてあったり、でそういったものは案の定全然違う値段だ。
そんなことの多いフランスだから、つい疑ってみたくなるが・・まさか、公共の機関がわざとそんなことしないよね。するんだったらもっとお金持にやってくれい。
1月11日
子供は毎朝、幼稚園に出かける直前まで朝食を取りながらFrance 5の"Debout ! zouzou "という短編アニメーション集を見る。France 5はFrance 2、France 3と共に国営放送で、日本で言うとNHK教育みたいなチャンネルで、アニメーションにしても、絵本がそのままアニメーションになったといったものが多く、子供も私も気に入っている。
短編アニメーション集なので、月によってメニューは少しずつ変わる。今月から始まったウサギが主人公のアニメーションは珍しく、最初の主題歌のところにイタリア系、フランス系の名前が並んでいてる。フランスのアニメーションって結構珍しいのだ。
その主人公の男の子ウサギ君、今日は仲良しの女の子ウサギちゃんのお人形に興味を示し、 「ちょっと貸してよ」と手に取ろうとする。女の子ウサギは大切なお人形なので嫌がる。「なんだよー、ちょっとくらい、いいじゃないか」みたいな感じで無理に引き取ろうとしたとき、お人形の腕が取れてしまう。女の子ウサギは目に涙を浮かべる。男の子ウサギは「わざとじゃないよー」というが当然女の子ウサギは、怒る。子供に「そりゃあ男の子が悪いよね。謝らなきゃぁ。」と私も言っていた。
依然として男の子は「だからわざとじゃないったらぁ、機嫌直してよー。」と言っている。わざじゃないとかそういう問題じゃないだろって思って私も見ている。 ところがだ、だんだんと一向に機嫌を直さない女の子も、間違っとる、みたいな雲行きになってきた。「ねえ、機嫌直したら、僕の秘密教えてあげるよ」といたずらっぽくウィンクをしながら言う。女の子は一瞬それに心を動かされるがまたプイッ。
そこに男の子のお母さんウサギが「あらあら、どうしたの?」という感じでやってくる。事情を知って当然息子に「わざとじゃなくても、なんか言わなきゃダメでしょ?」と謝らせるだろうと思っていた。しかしなんと、お人形を見るなり、「まあまあ、大したことじゃあないわよ。機嫌直してね。こんなのちゃちゃっと元どおりにできるわよ。」と、とりなし裁縫道具を出して 綺麗に縫ってあげる。え?こらこら、お母さーん。
そして仲直り、最後に女の子が聞く。「ところでさっき言ってた秘密ってなあに?約束よ。教えて。」男の子は耳元で答える。「あのね、君って怒るとまた一層可愛いって発見したこと。」(このませガキー!!)ま、とにかくめでたしめでたし。
??なんか違うぞぉ。いいのか、こういうふうに持ってきて。いつまでも怒ってちゃあもちろんいけないが、その前にこの男の子は謝らなきゃいけないだろうがっ。
フランス(ヨーロッパ)ではこうなのだ、なんてことない。もちろん日本ほどはやたらと詫びないが、こちらでも人のものを壊したりしたら謝るし、わざとじゃなければ謝らなくてもよい、なんてことはない。
シナリオの段階で、「でも、これ、まずいんじゃないっすか?」って言った人はいないのか?これでゴーサインが出たのかあ。
でもふと思い出したのが、子供を迎えに行ったときみたこと。2人組の子供が女の子をいじめて泣かせちゃっとときも、「謝りなさい!!」ではなく、「ほらほら、なにやってんのー」と、泣かせた子に向かって「さあ、キスしてあげて仲直り」そしてキスして仲直り、 だったなあ。
1月5日
(また3日の続き)さて、今日子供を迎えに行くと、担任がニコニコ顔で迎えてくれた。
うちの子供が急に聞き分けがよくなったという。「ちゃんと話し合ったのね。彼もちゃんと理解したみたいよ。」ということだ。
よかったよかった。若干、反則ワザはあるのだが。それは、「いい子にしてたら・・。」というやつだ。毎年私と子供は日本へ行く。日本へ行く日が近づいてくると、「いい子にしないと日本に連れてかないよ。お留守番よ。」っていうのだが、これはもうあまり効き目はない。しかし、今年はパスポート更新というイベントがある。そう、2000年、子供が0歳の時作ったパスポートは来月切れるのだ。それを話して、日本に行くにはパスポートの更新が必要、それには最新の写真が必要。つまり、日本に行く前に1. 写真を撮りに行く 2. 写真を持って大使館にパスポート申請に行く 3. その1週間後にパスポートを取りに行く 4. 航空券を取りに行く 5 .空港に行く と壁は5つもあるのだ。いい子になるまで写真は取りに行けないよ。5つの壁の1つもクリアしてないよ。というふうに持っていくと、漠然と「日本に連れていかない」というより、実感を持つことができるみたいだ。しかしあんまりすると駆け引きをする性格というのが形成されるような気がするので、やはりよくないわな。
1月4日
(3日の続き)昨日の「挑発」だが、私の解釈は違っていた。
今日子供を送っていったあと、出口のところで園長先生が、私の腕をくいくいと引っ張る。どっしりとして声も太く迫力のある女性で、ぴしゃりといた物言いをする方だが、今日は笑いをこらえてる。
「ねえ、担任から聞いたかしら。おたくの**が食堂で裸になって、おちんちん見せたって話。」え?聞き間違えかと思い聞き直す。「自分で脱いだんですよ。お昼の時ね。まあ、小便小僧じゃあるまいし、って言ってたんですけどね。」
挑発というのはそういうことだったのだ。 おそらく幼稚園の先生の中で一番年長の担任は、そういうことをあからさまに言うのを控えたのだろうか。
まあ園長先生は、この年頃になると「よくすることよ、別にそれは気にしなくてよろしい」という。ただやはり、頑固すぎるので、もう少し何とかするように、と言われた。昨日、言って聞かせてからは家ではすごくいい子なのだが。
1月3日
明けましておめでとうございます。
こちらは正月3ヶ日なんてのはなく、元旦のみ休みで、幼稚園は今日、月曜日から始まる。ところでこちらのバカンス日程というのを見ると、クリスマス休みは1月3日まで。しかし3日まで、というのは3日の朝までということで、この朝までというのは早朝のことなのだ。それを知らず、語学学校に通い始めた頃は午前中は休みだと思い、授業があるのに休んでしまったという思い出がある。
ただし、その日付のあとにinclu(含む、という意味)と書いてあればその日まるまる休みと言うことでややこしいのだ。
始まりもしかり。これも昔のこと、相手が○月×日からバカンスに入る、休みになったら1日もムダにしたくないのですぐ出発だ、というので ○月×日初のチケットを予約してきたら、この日には出発できないよ、この日の夜から休みということだから、と言われ、きぃー何でそんなわかりにくい表し方するのよー。と憤慨した覚えがあるなあ。
とそれはいいとして。今日子供を送ってくと、担任の先生がちょっと難しい顔してやってきた。
うちの子に最近ずっと手こずってるという。「ちっとも言うこと聞かないし。お友達を困らせる、この間もね、お昼に食堂で、挑発したのよ。」挑発とは、何かほかの子をけしかけて喧嘩するようし向けたということだろう、その時は解釈した。 まあ、でも子供のことだものそんなのお互い様だろう。
うちの子のバージョンではみんなが彼ををいじめる、と言う。VとかMとかの名前を挙げてたので一応それを言うと、「Vはそんなことしませんよ」という。あれれ? そのほか、「やりたいことしかしない。そのかわり好きなことはすごく熱中するけどね。ただ、お友達とかに対してもそう。彼にとってほかの子っていうのは存在してないみたいなのよ。おたくの子はね、個人主義すぎるのよ。でもそれじゃ、いけないのよ。子供とはいえ社会との調和というのを学ばなくてはいけねいの。ええ、われわれは社会の中で生きてるのよ。」云々。
社会との調和だの協調性だのに厳しい日本でそれを言われるならまだしも、そんなのお構いなし!とまでいかなくとも、寛容に見えるフランスにいながらこう言われてしまうとは・・。しかし小さい頃はフランスの方がむしろ厳しいかも。今や日本は「個性を伸ばすためのびのびと」という方針のところが多いと聞く。いずれにしてもかなりこたえました。言われたことが何度も頭にこだましていた。私の仕事の都合で、預かってもらうことが多いということも担任は知っていて、「そちらの家族とか、あなたとか、パパとかそれぞれ、方針が違うのかもしれないわね。どれに照準を合わせたらいいのかわからないといったフシも見あたるけど。」ということも言っていた。これはまあ私もちょっと悩んでることではあるので、一理あるであろう。
というわけで、そのあと買い物をしながら、延々とお説教だ。