最新ダイアリー  04年 03年 1〜3月 02年  HOME

ダイアリー2003

12月5日
  久々のダイアリー。
  私は 明け方によく目を覚ますが、季節柄この時間は冷える。夜中はセントラルヒーティングも温度抑えめなようだ。寒いなあ、でも予備の毛布を出すのも面倒だし。
 同じベッドには子供が眠っている。子供も私も寝相が悪く、私は毛布やふとんを自分の方に巻き込んでしまう癖があるため、ふとんはそれぞれのを掛けて寝る。今子供は風邪で熱が少しあるのだが、触ってみると起きているときよりさらに熱く感じる。そこで思い付いたいいアイデア。子供の足を自分のふとんの中に引き込んでみた。おお、ポカポカこれは暖かい。子供をあんか代わりにするとは何という親!いやいや、熱がでたときは冷やさねば、ママンのあまり暖かくないふとんに入った方が 熱を下げるにはいいのよ、これで一挙両得、賢い母。

9月30日
 一昨日の夕方パリに到着。イラストの追加、新しいコーナーの準備、リンクのページなど順次アップしたいと思います。ダイアリーはしばらくお休みするかと思います。

9月23日
 再び友人一家と地下鉄と路面電車の小さな博物館に行ったあと緑地公園に行って来た。
もう草むらにはすっかり慣れたようで公園を駆け回っていた。よかったよかった。公園だけじゃなくレストランを駆け回るのには困りものだが。友人の子供はちゃんとおとなしく座ってました。落ち着きのない子はうちの子だけ。厳しくしてるつもりなのになあ。嗚呼・・。

9月16日
 イラスト展の搬入に行った。渋滞を避けるために昔からよく通る抜け道で好きなところがある。名古屋東方に猫ヶ洞という物語なんかにでてきそうなネーミングの地区があってその住宅地をぬっていくのだが、途中こぢんまりとした家がある。瀟洒な家も多いこの地区、多分ほかに誰も注目する人などいないんじゃないかというような目立たない外観なのだけれど、どこか懐かしい感じ。ちょっと昔風ちょっと西洋風、でも洋館というほどでもない。そうそう、昔の診療所にこんな感じの建物あったかなという感じ。大島弓子の漫画にでてきそうでもある。

  久々にそこを通ると窓がきれいに飾られているなと思ったら喫茶店になっていた。うーん、ちょっと複雑な思い。この家に入るチャンスなどあるとは思ってもみなかったが、喫茶店になっているのなら入ることができる。でもここに誰かが住んでいて、どんな人が住んでるだろうという思いをめぐらすのが好きだった。かかっていた表札の名前は忘れてしまったが、割と普通のよくある名字だったが、ああここの住人にぴったりの名字だな、と思った覚えがある。喫茶店の経営者は元のここの住人だろうか。今回はちょっと時間ないが次回の帰国時に入ってみようかな。
 
 その先を西に折れるとかなり急な上り坂がある。ギヤをローにしてうぃーんと上がったところを左手に折れると名古屋地方気象台がある。どこかアールデコの影響が感じられる古びた建物、これを見るためだけにちょっと脇に入って回り道をするわけだ。 そしてまた坂を下りてしばらく行くと覚王山近くに出る。 この周辺もお気に入りだ。日泰寺参道の雰囲気もいいし、そこにある紅茶&カレーの店をはじめこの付近には好きなお店も多かった。10数年前行ったレストランとかまだあるのかなあ。

 その近く大通りに面してマニアックなレコード店がある。昔ちょっとつき合っていた人が音楽に関して結構マニアックでそれでこの店の存在も知った。車の止めにくいところなので滅多に行かないが、普通のお店で見つからないレコードやCDあってここに来たら見つかったことが何度かあった。タイニー・ティムのアルバムやカルロス・ダレッシオの「インディアソング」なんかそうだ。お店の人に言うと「ああ、あれね」とすぐに出してくれてびっくりしたものだ。どの店でも「何ですか?それ」って反応だったから。10年前友人とのイラスト2人展「Tip Toe」というのは実はタイニー・ティムの曲のタイトル「Tiptoe through the tulips」から拝借したのだ。「インディアソング」は映画の方はフランスに来てからテレビで見たのだが、なんか・・・・って感じだったなあ。
えー、ここのところノスタルジーに浸ったローカルな話題が続いてしまいました。

9月13日
 故郷は瀬戸物の町。今日と明日は瀬戸物祭りというものがある。 私はこのお祭りが大好きだったのだけれど、フランスに渡ってからは最初の帰国のとき行ったきりなので、10年ぶりだ。なかなか9月に帰るって機会がなかったけど、一度このお祭りに行きたさにわざわざ時期を合わせて帰ったのにその年か前の年からか、9月の第3土日に行われてたのを第2土日に開催されることになって、日本に到着したときは祭りは終わった直後で地団駄を踏んだこともある。第3土日は台風シーズンで雨が降ることが多かったからである。

 今年のお祭りには密かに楽しみにしていたこともあった。陶磁器専用のギャラリーで、お祭りの時期と同じくして新進陶芸家の作品が展示されているが、そこに私が中学から高校にかけて片思い(です・・キュンッ)してた男の子−今はおじさんだろうけど−の弟が出品していることをひょんなことから知ったのだ。弟さんが家業継いでるのね。まあ、本人は来てるはずないし弟の作品見たってどうということはないが、当時の純情な(?)気持ちを思いだしなんだか胸が高鳴った。

 我が町の中心、昔は繁華街だったが今やちょっと寂れてしまった通称バカ通り(バカッ広いからこう呼ばれたのだそう)に面したギャラリーはまだ新しいが、よくよく見ると昔からあるちょっとレトロな小工場(製陶所だったかな?)を改築したところだ。 そしてこのギャラリーがすごくいいのだ。ギャラリーそのものもいいが最初に見た女流作家の2人展、これが素晴らしかった。くだんの新進作家競作は別館で行われていた。いや、もちろん期待したわけじゃないけどつい展示作品そっちのけでキョロキョロしてしまったよ。そのあと別館にある喫茶室でお茶をするが、セルフサービスなので安いしおまけに器はすべてオリジナルの手作り。友人とアイスコーヒーを頼んだがそれぞれ違う形のグラスで運ばれてきて面白い。田舎町だと思っていたが素敵なところができたんだなあ。また来よう、と思った。

9月3日
 テレビをつけるとなんだかいつも誰かが食べている。前からそんな傾向だったけど、よりエスカレートしたのか、味見をして「う〜ん、おいしいっ」ってのをやたらと見るけど、こっちは食傷気味だなあ。あとセリフがいちいちテロップで繰り返されるのも鬱陶しいし、いったいどうしたんだ?日本の番組は?見なきゃいいのだが母や子供がちょくちょく見ているのでどうしても視界に入ってしまう。コマーシャルと教育テレビのほうがずっと面白いぞ。

 うちの子は恐がりだ。高所恐怖症、バービー人形恐怖症、着ぐるみ恐怖症、といろいろある。コンセント触ったり飛び出したりしないよういつも戒めている甲斐あってか危ないことはあまりしない。車が来なくても赤信号だとどんな小さな通りでも絶対渡らないし(日本じゃ普通か)、こっちがうっかり渡ろうとすると叫んで止める。コンセントの抜き差しも私に頼む。でもどうかすると過剰なほど怖がるのだ。脅し過ぎか?
 
 同じ年頃の子供を持つ友人のところに遊びに行って公園へ行った。去年の初冬に行ったときと異なり、生い茂る湿潤気候の草むらは子供にとってはさしずめジャングルか。それまでもトンボが飛んでいたり、トカゲが石垣に飛び出してきたり、また小さな虫がブンブン飛んでいたこともあって、小ジャングルには何かがひそんでいそうな気がするのか、草むらかき分けたり、またぐことができず、足がすくんでしまう。ちょうど頭上が航路になっていて、航空会社のマークが見えるくらいの高さで飛行機が飛んでいくので、「もうやだー!あれに乗ってフランスに帰る」とべそをかきだしてしまった。そのあとずっと抱きかかえて帰ったのであったが不機嫌不機嫌。
 数日前実家のトイレの壁にゴキブリが張り付いていた、ということがあって(そんなことは滅多にないんだけど)、それ以来このトイレにはいるときも足がすくむみたいだ。なだめすかして入れているが、たいていは階下にあるもう一つのトイレに行ってしまう。

8月28日
 実家には現在下宿人がいる。私がパリで日本語を教えていた兄妹の妹がインターンシップで来日、我が家にホームステイという形だ。インターンシップの内容は半年間市役所での研修だが、これが彼女の通っているビジネススクールでの単位として認められるそうだ。 母は二つ返事で引き受けたが慣れないせいか、どこまで世話を焼いてどこまで放っておけばいいのかの境界が今ひとつつかめないようで戸惑い気味だ。私としては父亡き後、普段下宿先から会社に通う弟が帰ってくる週末以外は、平日は母一人なので下宿人がいた方が心強いし(以前夜電話したときなかなか出なくて心配になり、すんでの所で近くに住む親戚に電話して様子を見てもらいに行くところだったこともある。電話線の接触が悪かったのが原因だ。)、賑やかになって楽しいだろうと思っていたがなかなかそう簡単にはいかないらしい。私も渡仏したばかりの頃ホームステイしていたし、地方だったので周りの友人もみなホームステイが多かった。親切なところそうでないところ、寛大なところ細かいところ、食事つき、または別といろいろだが基本は部屋を与えられてあとはノータッチ、という感じである。しかしやはり日本人、そこはそう割り切れないようで、必要以上にサービスしてしまったり世話を焼いてしまったりでなかなか大変そうだ。

8月24日
 一時帰国、今朝到着。子供を連れての飛行機の度は毎回辛いものがあった。いつもフランクフルト経由なのだが、今回はパリ−フランクフルト間が窓ぎわ席が取れず、3人がけの通路側2席。しかし席につくなり「ここじゃ見えない、窓が見えない。」と子供が大騒ぎ。窓ぎわにいた女の子が「あらこの子、窓ぎわがいいの?替わりましょうか?」と言ってくれたので、お言葉に甘え替わってもらう。彼女はバイオリンらしき荷物を持ち楽譜とにらめっこをしていて、飛行機に乗ることもおそらくちょくちょくあるだろうし、座席の位置など大して頓着しないといった感じだが、やはり恐縮ものだ。
  そのあと日本まで機内では以前と比べは格段におとなしくしているようになり、係員呼び出しボタンなどもいじらなくなりずいぶん楽になった。帰りもこんな感じならいいのだが。

8月18日
 暑さが静まって数日、絵も描かなけりゃいけないが、帰国前の買い物もしなけりゃならない。酷暑の間はどちらもする気になれずにいたからしわ寄せが来てしまった。今回はコーヒーを多めに買う。マリアージュ・フレールの紅茶の量り売りで日本であまり出てなさそうな種類を買ったりしてたのだが、「コーヒーと紅茶とどっちがいい?」と聞くとコーヒーを選ぶ人の方が多いとわかったので。私はコーヒーも好きだが断然紅茶党で、昔から親しい友人も紅茶党が多かったので、何となくいつも紅茶を多めに買ってたのだが、世の中はやはりコーヒーの方がメジャーなのね。 そして最近よく買ってくのがミネラル塩。一番高価なのが「フルール・ドゥ・セル(塩の花)」1kg入りの粒の荒いものは漬物用として重宝される。よく買うのが円筒形の入れ物に入った卓上タイプ。もともとしっとりしたミネラル塩は日本の気候だとすぐに固まってしまうのが玉にきずだが、サラダなんかにふりかけて使うとずっとおいしい。母が知人に配ったりするので多めに買う。そのほか親戚用に何か買った来てと頼まれているのでデパート巡りなのである。

8月11日
 相変わらず暑いのである。ここのところ普段はほとんどデスクワークで、たまに駅や空港に行くこともある。暑い日にはオフィスの方がずっとありがたいのだが、久々にユーロスターでロンドンから到着するお客を北駅に迎えに行くという仕事が入った。こういう日は、冷房も効いてない駅で待つのは仕事は空港でよりもさらにきつい。 どちらにしても家にいるのも暑いので、早めに駅前の冷房の利いたカフェに行って、読書なりしたり下絵描きなりした方が生産的だと思い駅に向かう。

 しかし!うそだー、駅前に冷房の効いたカフェがないのだ。カフェのギャルソンはこの暑い中、普段通り黒のベストを着て給仕に励む。ああ、見ているだけでもつらい。いくつかホテルがあるので中を見てみるがみなプチホテルでバーやカフェのあるところがない。マクドナルドは多少冷房かけてあるようだが、大して利いてないしこの暑さゆえか生ゴミのようなすえた匂いが店内に漂っていてこれも耐え難い。こんな日にクーラーの利いたカフェがあればさぞかし繁盛するだろうに、と思いつつ駅前をひたすら探し回る。やはりない、あきらめて隣の東駅に向かう。

 確か東駅舎の一部がメルキュールチェーンかなんかのホテルだったはず。メルキュールなら普通冷房も入るしカフェもある。しかし行ってみると別のホテルに変わってたし、なんだか入りづらい上、入り口付近は暑かった。やっと一件エアコンディショネとかいてあるカフェを発見。冷房が入っているので閉めきってあり、中の様子はわからなかったが涼しけりゃいいっ、と入ったがそのとたん思わずきびすを返してさいならー、と引き返したい衝動に駆られた。お客はほかに1,2組しかおらずさびれた感じもさることながら、悲しきはその内装。アメリカンドリームを追求したつもりだろうが、安っぽいドライブイン風で、天井はキッチュなきらきらしたモールで飾られ、かかっている音楽はカントリー&ウェスタンとちょっとトホホな所ではあった。しかしやっと見つけた冷房カフェ、文句は言うまい。でも冷房あんまり利いてないなあ。

 ユーロスターの到着時間が近づいたので駅に戻る。40分の遅れが出ている。ユーロスターはこのような暑さに対応出来るように設計されてはいないので、従来のスピードを出すとどこかがいかれてしまうらしくスピードダウンして運行しているそうだ。そんなわけで遅れは覚悟していたが、駅の中は暑い上に人が多いので蒸す。もう倒れそう。

 暑い日に限って駅への送迎の仕事が入る。翌日も駅だったが前日で懲りて最初からクーラーの効いた和風サロン・ド・テでかき氷を食べつつ快適に過ごす。駅から遠いのが難点だ。翌々日は2階が冷房の入るオペラ座のカフェ。そこでひとつ発見したこと。ランチをしている客で賑わっていたのだがそれが終わるとガラガラになった。カフェ全体がガラガラになったと思っていったらそうではなく、出るときに見ると冷房の入らない下の階は結構混んでいる。モワーッと暑いのに。そんなわけで前言撤回、前述のウェスタンカフェしかり、冷房完備と謳ってあってもこの国では繁盛するわけではないらしい。 暑さに平気だというとそうではない。そういった設備の少ない所では、暑いから冷房の利いているところで涼もうということが思い付かないのではないのでしょうか。

8月7日
 フランスは記録的な酷暑。うちは最上階なのだが風通しがいいので相当暑くとも風さえあれば結構しのげる。しかしここ数日気温は38℃から40℃くらいで風がない。何でこんなに暑いのだ。毎年数日は暑さの厳しい日があるが35℃前後まで上がるとたいてい2,3日のうちに夕立が来て一気に涼しくなる。今年はそれがない。ヨーロッパでは一日中晴天という日は少ないのでお天気がいいとうれしくなったりするのだが、こうもカンカン照りが延々と続くと不気味だ。今月末に日本に発つのでそれまでにもう1、2作絵を描かなくちゃと思いつつこの熱した部屋の中で何ができよう。とりあえず背景をざっと塗って、マスケットインク(液体ゴム。乾くと膜になるのでマスキング用として水彩などで活躍。)で覆った部分を専用ゴムでこすり取ろうとしたら、暑さでだれたマスケットインクはこすってもこすってもネチャーッと、粘着して果てしなく伸びるのみ(ちょうど取り残しのシールの接着剤みたいに)。この暑さが続く限り自宅での創作活動は無理だわ、と仕事は午後4時からだがクーラーの効いたオフィスに定時よりずっと早く向かうのであった。

7月20日
 さてまたそろそろ次の絵にかからなくちゃと重い腰を上げる。
 絵を描くときは当然子供が幼稚園に行っている間とか、預かってもらっている間だ。たまに 締め切り直前になると子供がいても描かざるを得ない状態になる。子供がいたずらして取り返しのつかない状態になったら・・と思いつつ緊迫した雰囲気が伝わるのか意外と邪魔しないものだ。
 が、今日絵の具箱の中を見て唖然。全部の絵の具が2つに折り曲げられている。アルミチューブ入りとソフトチューブ入りがあるが、ソフトチューブの方は大丈夫だが、 アルミチューブの方は折った角が破れて絵の具がはみ出しているものも少なくない。こちらは年代物なのですでに固くなりかけているものもあったけど、まだまだ使えるのも結構あったがこれらが固まってしまうのは時間の問題だ。絵の具は終わったらすぐしまっていたのだが、おそらく筆やパレットを洗っている間に子供が折り曲げたのだろう。洗う前にしまわなかった私が悪いが、しかしまあ何かの恨みであるかのように、ほとんどひとつ残らす折ってある。全然気づかなかったなあ。それにしてもなんとすばやい。前にも遊びあきたパズルをひとつ残らず折り曲げたことがあったが。
 今回犠牲(?)になった絵の具たちはリキテックス(アクリル絵の具)で、フランスにも売っているが、私の使っているのは20mlのだが、こちらでは60mlの大きいチューブしか見たことがない。お店のの人に聞くと 小さいチューブは一応は出してるようだけど、売れないから大きいのしかおいてないんだよ、と言う。そうか、みんな大きい作品を制作するのにつかうのかな。私はそれほど大きい作品は特に最近は描かないし、水彩のように使うことも多いのであまり使わない色だと小さいチューブですら何年経っても使い切れない。だいたいアルミチューブなんて15年以上前のものだ。
  来月日本に行くのでまとめ買いしてこなくちゃ。

7月5日

 2週間ほど前か、Fが「ジャパンエキスポでイラストコンクールがあるよ。出品したら?」と誘いかけてきた。ジャパンエキスポとはポルト・ド・ヴェルサイユの博覧会場で毎年行われる結構大がかりなエキスポジションだ。締め切りまで4日ほどしかない。ちょっと時間的に難しいんじゃないかと思いつつ、なんとはなしに下絵を描き進めるうちに何とか描けそうかな、という感じがしてきて出品することにした。そしてやはり途中で時間が足りなくな仕上げが少し雑になったが、テーマがあったせいか今までとは違う色遣いができ自分なりに楽しんだ。

 コンクールの結果発表は博覧会の最中にあるらしい。でも入賞者には出席してもらうため前もって知らせるだろうな、もう博覧会も始まってるし何も連絡ないということは選外だろうな、と思っていたら、授賞式の前日に電話があって、入選者の1人に選ばれたのでぜひ明日会場にお越しいただきたい、ということだった。何賞かは当日発表するそのことだがそんなに直前に言われてももう仕事が入ってしまっている。どちらにせよ私は土曜日は大体仕事が入っているのだ。結局Fに代理で行ってもらったけど、 正直お仕事で良かった。だってみんなの前でコメントや絵の解説をするように言われたけど、離れしてないので苦手ですわ、そういうの。Fはそういうの大好きだからちょうどいい。打ち合わせをしたもののそれ以上のことをべらべら解説するだろうな。

 今授賞式終わったとこで2席だったと電話が入った。 しかしジャパンエキスポってずいぶんアニメっぽいものだと後で判明。マンガのコンクールは別にあるのだけれど、そもそも日本オタクってアニメオタクと結構かぶってるしね。 賞品はグレンダイザ-の模型やら漫画本やらが袋一杯… 賞品のマンガ本(ほとんど日本語ので若干フランス語バージョン有り)は30冊あったかなー。アニメっぽいのばっかだったけど、暇なときにでも読めるかなと思ったら、続き物の最新刊ばっかで話がわからない。ほとんどFにあげました、お礼として。 しかしこれでまたちょっとエンジンがかかった感じだ。

6月21日

 実は隠れハリー・ポッターファンである。といってもこんなところに書いてるので大して隠れてないけど、やはり外で読むときはカバーをかけて表紙を隠してしまう。児童書だし基本的には勧善懲悪、登場人物の性格や行動もパターンがありステレオタイプ的、っていやあそうだ、敵役は敵役として生涯を全うするために生まれてきたような性格だし、(しかしスネイプなんかは奥深そうだ、あ、彼は敵じゃないか?)でもやっぱり面白いのだ、これが。

  さてもう何ヶ月も前、ハリポタ5巻予約受付が開始になってすぐオペラにある英語書専門店で予約しておいたのだけど、数日前携帯の留守電にその本屋さんからメッセージが入ってた。20日夜10時半から「ソワレ・ハリー・ポッター」なるパーティーが書店内で行われ、それに続いて深夜1時半から本の販売を開始するからお越し下さい、とのことだ。

 そういえば、5巻は21日の発売で、前もって入荷してあってもイギリス時間で21日にならないと売れないってニュースで読んだな。つまりイギリスが21日になってすぐ売るというわけか(イギリスとフランスは時差が1時間あるので。しかしここまでやる割には1時半というこの30分のずれはなんだろう)。なんだかボージョレ・ヌーヴォーの解禁とか思い出してしまった。もっともあれはフランス時間が基準ではなく、とにかくその日になれば解禁、というものだからちょっとまた違うけど。 でもこうやって騒ぐのは日本人の特徴かと思っていたらフランスでもやるようになったのね。しかも深夜出勤してまで。 イギリスの0時は日本の朝8時。やるとしてもちょっと開店時間を早める程度だけど、やっぱり10時開店を8時開店に早めるのかな?

  子供がいるし、翌日仕事があるしパーティーはパスしたけど、21日のお昼仕事の合間に買ってきました。800ページ近い上ハードカバーなのでまるで辞書だ。荷物が多いときは書類カバンにも入らず別の袋に入れて持ち歩いている。そこまでして持ち歩かなくても家で読めば、と思われるだろうが何せ私の読書タイムというのはメトロやバスの中と仕事の合間がほとんど。で、やはり上からカバーをかけて読んでいるけど、この厚さでわかってしまうわね。だってやはりたまに辞書のような本を熱心に読んでる人見かけるけど、表紙を見るとやはり見るとみなそれはハリー・ポッター、一目瞭然。

5月29日
 もともと春から夏休み前にかけてはゴールデンウィーク以外は観光業は暇な時期ですが、今年は下にもちょっと書いたけど戦争、SARSの影響でツーリストはさらに激減。私も暇です。通訳の必要な方メール下さーい。週末以外なら都合つきますわよ。 そんなわけで今は絵を描く事にいそしんでます。なのでここ1ヶ月ほど暇な割には更新が滞ってましたが、こちらの方もぼちぼちすすめたいと思ってます。夏ごろにはギャラリーに10点以上作品を追加したいと思ってますがどうなるやら。

5月3日
 弟が日本から来てたので久々の小旅行をした。大西洋岸をレンタカーでドライブ。 旅行記はジャーナルの方に近々アップします。
 ところで当初、弟は安い香港経由を利用してこちらに来る予定であった。3月頃予約したときはまだキャンセル待ちの状態。ゴールデン・ウィークは日本人ツーリストでいっぱいというのが予想された。が、間もなくイラクへの攻撃とSARSの一件でキャンセルが相次ぎチケットが取れたものの、SARSは静まるどころか勢いを増し、弟も香港経由で行くのをためらい始めた。どのみち便自体が欠航するということもおこりかねないのでソウル経由に変えた。キャンセル料は欠航になればかからないが、そうでなければ3万ほど取られる。結局弟がキャンセルした便は欠航にならずキャンセル料を払うことになり、その上ソウル経由は香港経由よりちょっと高いので出費はかさむが、やはり確実に飛んで感染の心配をしないほうがいいもんね、なんて言ってた。

  さて、フランス滞在中何ごともなく無事弟は帰途についたわけだが、数日すると不穏なニュースが。ソウル発パリ行きの便を利用した乗客から2人のSARS感染者が出たというのだ。しかも弟の帰った前日の便でだ。
「‥てことは例の飛行機に乗ってしまったってことかな。到着した飛行機は整備しなきゃいけないから数時間後のその日の出発ではなく、次の日の出発くらいに使うよね。」と弟。
「いや、普通は到着便で使った飛行機で数時間後に出発するよ。あ、でもあそこの会社はフランスの会社との共同運航だからフランスの機材を使う事もあるみたいだからねー。するとこっち来るときは韓国ので、その日の出発はフランスの使って、次の日に前日に着いた韓国の機材使うってこともありかしらね。」と私。
「旅行から帰ってきて風邪気味でさあ、いや、ただの風邪だと思うんだけど会社ではさりげなくみんなに避けられてるんだよね。」
力なく笑う我々。 ちなみに今のところ香港発の便からSARS感染者と認定された患者は出ていない。つまり、弟は差額とキャンセル料を払ってより高いリスクのある便に乗ったということか。

4月15日
こけた教訓
 子供と地下鉄を待っていた。プラットフォームの片隅に消化器とともに非常用レバーがある。これは万一線路に人が落ちたとき、一時的に電流を遮断するためのものである。レバーの上には透明プラスチックがはめられていてその上には線路に背中から落ちていく男性のイラストが描いてある(これがなかなかなかコワいイラスト)。子供はそれを見て
「これなあに?」と聞く。
「これはねー、線路に人が落ちたときのためのものなの。」
「落ちるの?どうして?」
「端っこにいると落ちることあるんだよ。ほーらあそこにいる人見てごらん。あーんなに端っこに行っちゃ危ないよ。あの人は大きいからいいけど、でもそれでも危ないよ。だれか暴れんぼうや変な人が来てえいっと押したら落ちちゃうでしょ。ほらあっちの人もね、ぎりぎりのところに立ってる。人が沢山いるときも押し合って落ちることだってあるんだよ。Kちゃん(うちの子の名前ね)ねー、あちこち走り回るでしょー。急に走り出したりするでしょう。危ないよー。だから待っているときはこうやってベンチに座っていようね。」
「落ちるとあぶない?」
「痛いよー。落ちると痛いでしょ、で落ちたとき地下鉄が来ると、うわー!つぶれちゃうよ。血がいーっぱいでるよ。血がちょっとだけ出ただけでも痛いでしょ。もーっともーっとでるんだよ。怖いよー。だから地下鉄待っているときは、ここにおとなしくしていようね。」
子供は顔をゆがめつつ、何度もこの話を聞きたがるので私も繰り返し言って聞かせる。

 しばらくして地下鉄が来たので乗り、目的の駅で降りる。が、そのとき子供が金切り声をあげて泣き出した。 どうしたの、と聞くと泣き叫びながら動き出した地下鉄とプラットフォームの隙間を指している。さっきまで手に持っていた祖父母にもらったばかりのぬいぐるみがない。
「ぬいぐるみ、落ちちゃったの?」
子供は泣きながらうなずく。 確か線路にものを落としたときは駅員さんに言えば各駅に用意してある専用の器具で取ってくれるはずだ。実際に拾い上げているのをところも見たことがある。
「じゃあ、取ってもらうから、下へ言いに行こう。」
しかし子供は、ぬいぐるみをそのままに立ち去るのは忍びないのか、その場をがんとして動かず泣き続けている。
そこを通りかかった男の人、事情を察すると
「ああ、大丈夫取ってやるよ。」と言う。
「危ないですよ。私、駅員さん呼んでくるからいいですよ。」
「大丈夫だって、電車もまだ来ないし。」
ひらりっ。あっという間に降りて取ってきてくれる。去っていくその男の人に感謝の言葉を述べつつもうーんと考え込む私。さっきのいましめはどうなるんだろう。
しばらくして子供が言う。
「ねえ、あのおじさん、下に降りたね。大丈夫だったね。怖くなかったね。」
ああー、やっぱり恐れていた反応が。
「あのね、あのおじさんは特別なの。」
「なんで?大きいから?Kちゃんも大きくなったらできるの?」
「ううん、できないの、ママもできないでしょ。あのおじさんはスーパーおじさんなの。だからぜーったいまねしちゃダメだよ。」
「うんー‥。」
という何となく気のない返事。
「ところでKちゃんすごーく泣いたね。そんなに悲しかったの?」
「うん。電車が来ると、危ないから。クマちゃんつぶれちゃうから。」

ええと‥つまり、結局はさっきの教訓話、理解してくれたってことかな?

4月10日
バス運とくじ運
 昨年9月のダイアリーにも書いたが私はバスと相性が悪い。サイクルもあるのだが全体的に見てやはりどう考えても悪い。
  私のアパートは地下鉄の駅はまではやや遠いが、バス停までは100メートル弱とすぐ近くだ。子供の祖父母のところにいたっては道路をはさんで真向かいがバス停だ。 しかし2,3日前からアパートを出た瞬間に目の前をバスが通過していくというのが続いている。自宅から出かけるとき、子供を迎えに行った帰り、地下鉄の駅を出てバスに乗ろうとしたとき等々。

 こんなことを言うと、気のせい気のせい、乗り遅れたときの方がくやしいーっという気持ちとともに強調されて記憶に残るからであって、同じくらいの割合でタイミングよく乗ってるよ、という意見も出そうだ。でもここのところはこのパターンが数回続いていて、もはや表に出る前の廊下で今日も目の前をバスが通り過ぎてくぞ、と確信して
「ほーら、ここをでた瞬間バスは通り過ぎていく。」と口に出して予言してみる(変な人っぽいなぁ‥、いや子供に言ってるの)。果たしてその通りにバスは通り過ぎていく。
「予言すればへそ曲げて、タイミングよく来るとでも思ってんの?その手は食わないよ」とでも言うがごとく、だ。
 もちろんたまに間に合うことはある。でもそれはバスが後方に見えたり、赤信号で止まっていたりしてるとき、必死で走ってやっと乗れる駆け込み乗車だ。 普通に歩いて待って、すぐにバスがくるということは本当にまれだ。おかしいなあ、確率からいっても家から出て10秒以内(いや、5秒以内くらいか)にバスが通る確率よりバス停に着いてから3分以内に来る確率の方がずっと高いはずなのに。だいたい5分から12,3分おきに来るバスが任意に指定された10秒の間に来る確率なんていったい何十分の一だ?そしてそれがかれこれ連続して3,4回続く確率は?

 ‥となにを真剣に考えているのだ私は。実際に、確率どおりきれいに分布する方が不自然かもしれないが、くじ運というのも当然ある。私はこれも非常に悪い。いつもはずれか、全員にもれなくあたる参加賞。下から2番目のものがあたることがたまにあるが、それは参加賞が欲しかったときに限ってのことだ。例えば夏の暑い日、参加賞が冷たい清涼飲料水だったときなどがそうだ。ノドが渇いていたので参加賞が欲しいと思っていたらパスタが当たってしまった。とまあこんな感じのくじ運の悪さ。

 この運について、ひとつぜひスポンサー付きでどこかが企画してほしい実験がある。
それはくじ運がよくしょっちゅう何かが当たっている人のグループ100人と、今までに何も当たったことのないくじ運の悪い人ばかりを集めたくじ運の悪いグループ100人とに分けて、くじを引いてもらう、という調査だ。商品はなるべくデラックスにして(海外旅行券とか車、とか賞金100万円とか)何シリーズかやってもらう。さて、獲得者はくじ運のいいグループに偏ってでるのであろうか。 くだらないですかね。

 

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