ジャーナルトップ 05年 03年4月〜12月 03年1〜3月 02年  HOME

ダイアリー 2004年

12月7日
 ちょっと前から子供は風邪気味なのでさらにおたふく風邪のような症状がでてきたのであったが、幼稚園を休ませ、小児科へ連れてった。午後から仕事があるので結構ぎりぎりだ。午後預かってもらうために、父親の家族に電話したら、マミー(おばあちゃん)が診療所に来てくれることになった。
 結局おたふく風邪ではなく、喉の炎症からくるリンパ腺の腫れだけで、そちらの方はシロップのみの処方となった。 こちらの方はあまり重要視されなく、むしろ、乾燥のひどい肌と肘の内側や肩にある湿疹が問題だったようだ。実はもっとひどかったのだが、お風呂は中止して、短いシャワーと保湿クリームで大分軽減した。それでも薬用ソープ、保湿剤とステロイド入りのクリームを処方された。
 身長、体重をついでに測ったら、身長はこのところ急激に伸び、ほぼ平均値となったので満足である。対して、体重は横ばい状態。ちょっと前まで身長が伸び悩み、かつて平均的だったのがどんどん下回り、25%のラインになってしまった。そして体重だけは平均値、とぽっちゃり状態だったのだが、これで身長、体重共にバランスが取れたわけだ。ところがマミーは心配そうだ。「体重、ずっと増えてないわ。身長が伸びたのに・・」と言う。私は「大丈夫大丈夫、前がちょっと太り気味だったくらいだから」というと、 「全然太ってなんかいなかったわよ。ほら、この子ちょっとやせずぎよ」と心配顔だが、ドクターも「大丈夫、心配ないわよ。」と言っている。

 そこでふと、彼女の「やせている」という基準は普通とかなりずれているのを思い出した。彼ら夫婦はかなりころころと丸い体型・・というのは通り越してまあ、医者から体重を落とせといわれるほどだ。その息子、つまり内の子供の父親だが、私から見ると(あるいは日本人一般がみると誰もそう思うだろうが)、もち肌も手伝ってかどう見てもぽっちゃり気味で、肉付きがいい。しかしその両親と並ぶと全然それが目立たなくなるどころかほっそりと見えてしまうのか、ある日マミーが誰かと立ち話しているのを小耳にはさんだ。「うちの息子はね、身長はあまり高くなくて、とーっても痩せているのよ」これはぶっ飛んだ。一応標準として許容範囲内なので、「太ってはいない」とはいえるが、「とーっても痩せている(tres tres mince)」?
 彼らに子供を預かってもらうことも多いのだが、体重が増えない、という懸念から、彼女の想定した「標準ライン」に達するまで、体重増加のための特別メニューなんて実施するのだろうか。
  でも考えてみれば世代によって、標準ラインが違うのは日本でも同じか。うちの親くらいの世代だと私たちの標準は「やせぎみ」で、理想ともなると「やせすぎ」になるようだ。そしてまた今の10代20代というのは本当に細い子が多い。おそらく標準ラインはさらに細くなっているのであろう。

11月15日
 8月だったか、携帯を新しく買い換えた。その際、私が使っている携帯の同系列のAという電話会社の回線2ヶ月間無料お試しサービスというのをおまけで付けてくれた。
 数年前からフランスでは自宅の電話回線はフランステレコムの独占ではなくなっていて、数社が競争で安い通話料、ADSLを提供している。 そういった会社の回線を経由するとフランステレコムよりずっと安くなる。
 1ヶ月おきにくる電話代の請求書が結構な金額なので、ちょうど他社を利用しようかと考えていたところだ。いい機会なのでこのA社を試してみて、よさそうなら契約を考えてみよう、と思っていた。

  この無料お試しサービスは、フランス中どこでもかけ放題、ただし平日の夜と日祝日のみ適用されるというもので、契約すると月々10 ユーロの料金だったと思う。そのほか、よくかける番号をいくつかセレクトしてその番号に限れば月々**ユーロでかけ放題とか、番号、曜日、時間帯の制限なしかけ放題で月々**ユーロ(もちろんこれが一番高いわけだが、それでもうちに毎月来るフランステレコムの請求書と同じくらいの額だ。毎日長電話する電話魔の人ならかなり安いもんだろう)いろいろ考えているうちに、平日の夜というのは、あまりこちらからはかけないことに気づいた。子供を寝かしつけるともう10時過ぎてたりするし、 子どものいない平日の昼間にかける方が多い。契約するときは月極かけ放題ではなく、通話ごとの加算でもずいぶん安いのでこちらにすればいい。

  しかし普通に電話番号をプッシュすればフランステレコム経由となるだろう、どうすればいいのだろう。そのへんのことを聞くために、A社の顧客サービスに連絡して聞いてみた。すると、プレセレクションというのを申し込めば普通にプッシュするだけ。申し込みがしてなければ、また申し込んでその操作が完了するまでは最初の0の代わりに(フランスの電話番号は市内でも0から始める)別の数字をプッシュすればいいということだ。そしてそれを試してみたがかからない。

 お店の方では、いかにこのお試しサービスが価値があるものかという宣伝のような説明はあったものの実際どう使うかは聞いてなかったな。まあ聞かなかった私も悪いが。と、ふとお店での手続を思い出した。「この無料サービスを申し込むにははこちらの書類が必要」とか言われいろいろサインしたよなー。
 無料のお試しサービスそんなにサインをするのも変じゃないか、とふと気づいた。鈍い私は今頃わかってくる、もしかしてちゃんと契約してしまったのでは、と。しかし、そんなこと言ってたっけ、相手は。よく思い出せないが、はっきりと「契約しましょう」とは勧めてなかったのは確かだ。「この機会に、2ヶ月間の無料サービスというものをオファーしましょう」と言ってた。 きっと作戦なんだろうが。
 つまり、2ヶ月間使ってみて気に入ったら契約する、のではなく、おそらくもう契約は済んでいて2ヶ月過ぎると請求書が来る、というわけだ。しかしまあ、いずれにせよ、これらの会社を使ってみようと思っていたところなので、月極じゃない方に契約を変えればいいだけのことか。そして9月後半まで仕事が忙しかったせいもあり放っておいた。

  で、10月に入った頃私が正式に契約されているのがどうか、また通話ごとの加算への変更について聞くためにまた電話したのだが、どうも要領を得ない。 と思ってるとある日、「あなたの新しい電話番号はこちら」という手紙がA社から届いた。そういえば、会社によっては電話番号が変わってしまうと聞いた。それは困る。この会社を経由するための番号をプッシュしてもかかならかったのは、何か操作をしてもらって、電話番号を変えるなどしてからでないとできないということか。それにしてもお試しサービスが終わる頃にそんなお知らせが来るとは、お試しの意味がない。これまで放っておいたほうもいけないが。
  もうこんなの解約だ。解約の場合はこちらでは手紙を書いてその旨告げる。で、大体はアパートの契約解約など大きいものは、受け取り通知付きの書留にするが、たかだか月々10ユーロのものだ、それは必要ないだろう、と普通の手紙で送った。

 手紙を送ってしばらくしてちゃんと解約されているか、確認の電話をした。
すると「はい、お手紙は受け取りました。これから解約再確認のお手紙を送りますので、それにサインして送り返していただければ解約成立です。」「えー!それでは無料期間が終わっちゃうじゃないの?」「いえ、大丈夫です。」とその言葉を信じて数日待ったがいっこうにそんな手紙は送られてこない。10ユーロとはいえ使ってないのに支払うのはばからしい。らちがあかないので今度は子供の父親であるFに頼んで聞いてもらった。すると今度は「お手紙は2週間ほど前にいただいてますが、書留でなかったので無効です。」 と言う。解約確認の手紙を送るってなによ?あれ、嘘だったのか?

  受け取り通知付きの書留 にするのは、私の理解するところでは、先方が「そんな手紙受け取った覚えはない。」と言って、それを理由に本来なされるべきものがなされないなど、こういったことを防ぐために、つまりこちらを守るためにあると思ってたのだが、違うのだろうか。会社の方でも、出した、受け取ってない、でもめるのも面倒なので最初から受け取り通知付き書留で解約の手紙を送るべし、としてるのだろう。しかし「受け取ったけど書留じゃないから無効」なんて、なんか本末転倒のような気がするんだが。実際には「書留で来てない、うちが受け取った証明は何もないから読んでないことにして放っておけ。」ということもされているだろう。それがそのうち「書留じゃなければダメ」なんていうように変化してきたのだろうか。しかし、「受け取った」と言いつつでも「書留じゃないから無効」と堂々といってしまうのはどうかと思うが。書留にすることによって身分証明がされるわけでもあるまいし、よくわからない。

 まあ、なんだかんだで結局は解約できたが結局最初の一月分だけ払い、電話回線の方は、今までの電話番号をそのまま維持できるというB社の方と契約した。その際、フランステレコム社の基本使用料以外のものは解約したが、こちらは電話一本で済んだ(そのかわりしばらくあとに、なぜ解約したのですか?理由を聞きたいという電話はあったが)。
  私がB社を選んだのは、電話番号が変わらないというのが大きかったが、その次の理由としてA社のやり方が気に入らなかったからだ。たとえA社も電話番号を変えずにすませることができたとしても、ちょっともうごめんだ。
 そして滞在11年以上というのに、あまり疑問に思わずにサインをしまくってしまった私も ナイーブな大マヌケものだとと思い知らされ、ちょっとガックリ。しかし、考えてみればこんな小さいものですんだし、今後の教訓となってよかったのかもと思う秋の日であった。

9月15日
 仕事で何軒ものショップに同行したが、あるセレクトショップにいたとき、一緒に行った人が小声で言った。「ちょっとちょっと、この店員さん、すごいイケメンじゃない」
  目の前の彼を見ると、本当に雑誌から抜け出してきたような感じのルックスだ。 しかし目の前にいるのに私はそれに気づかず、彼の同僚である別の店員のみが目に入っていた。その人は雰囲気、顔立ちともかなり濃い口で、私は「暑っ苦しい顔してんな」と思って見ていたのだ。そして顔のいい方は、何度も横であれこれとアドバイスを交えながら商品を見せてくれているのに、言われるまで私にとっては顔なしだった。商品の方を見てたせいもあるがだったらなぜ暑苦しい方の顔は見えていたのだろう。
 ハンサムな人に興味がないわけではなく、大いに興味があるのだが、なぜか汚いものとかインパクトの強い方に目が奪われる傾向があるようだ。好んでそうしているわけではない、断じて。

 ところが私の妹は逆で、汚いものや変なものは視界から勝手にふるい落とされていくようで、目にとまらないらしい。そして、映画俳優などはしょっちゅう見る。なぜそんなに見るんだ?というくらい。私はというと、そういうものは一切見ない。いても気づかないのだ。
  例えば脇役クラスだが、映画やテレビ映画などで最近よく見かける新進女優がうちの近所に住んでたようで、妹はもうしょっちゅう見かけたらしい。私は顔は知ってるのだが、気づいたことがない。
  ある日妹と並んで歩いているときのこと。向こうから歩いてくる女の子を見ながら、妹が私に目で合図送りながら、「ほら彼女、彼女」と小声で言う。なんなんだ?ソバージュにした長い黒髪が歩くごとにフワフワしてるのが印象的だが・・。彼女が過ぎ去った後妹は私に訊いた。「わかった?」「え?だれ?知ってる子?」と聞くと、あきれながら例の若手女優の名を言った。あれま、正面からすれ違っておきながら私には髪の毛しか目に入ってなかった。
  逆に、私がしょっ中近所で見かける、妙な人々は彼女はほとんど見かけないという。で、前述と同じようなシチュエーションで、妹といるとき、その変な人の一人、かなり強烈な出で立ちのおばあさんとすれ違った。そのおばあさんの話は前々から妹に話してあったため、過ぎ去ったあと妹に「今の人がそうだよ」と言うと、「え?そんな人いた?」とこんな感じなのだ。

 妹の場合はカテゴリーが、「オーラ付き」「美しい」以外は「興味のないもの」と分類されるからだろう。妹曰く、「いや、特にオーラとかは感じないよ。結構普通に紛れてるし・・、でもなんかふと見るとその人が有名人だったりするんだよね。」と言うが、いややっぱりオーラを感知しているんだ。
  対する私は「興味のないもの」とは別に「インパクトの強いもの(醜・変も含め)」というのがありどうもすべてのカテゴリーでこれが一番勝ってしまうようだ。そしてオーラは感知しにくい体質であるのは確実だ。知人と街ですれ違ったりすると私の方から気づくことも多いので、人を見てないわけではない。有名人で顔を知っていようが、実社会で面識がある人でないと、どうも私の中では「知らない人」として、その他大勢とカテゴライズされてしまうのかもしれない。
  ああしかし、ポジティブなインパクトの強さはいいとして、ネガティブなインパクトの強さは「興味のないもの」に入れてしまうよう努力しよう。努力してできるものかは、甚だ疑問だけれど。

9月5日
 8月末に妹に子供が生まれた。女の子だ。めでたい。しかししばらくの間、ニース住まいだ。ちょっと寂しい。 もう滅多におやつにも来られない。

7月某日
 これまでにも何度か書いていることだが、うちの子は嫌なものは絶対嫌、幼稚園などでも大分よくなってきているとはいえ、関心のあることしかやらないと先生から言われる。その頑固さは一貫してる。変装、メーキャップなどはこちらの幼稚園ではよくやるが、うちは1歳半の時から行ってた保育園時代から今現在までずっと拒否し続けている。大分前のことだが、ある日子供を迎えに行ったら、その日はちょっとした変装会があったようで、みんな背中に羽根を付けたりマントひるがえしたり、メーキャップで動物に変身したりと様々な格好で出てきた。うちの子はどうかな?メークはさすがにしないだろうが、それでもこんなに楽しそうだもの、さすがに多少は何かしてくるだろうと思った。ところが唯一彼だけが、いつもと変わらぬ出で立ちで教室から出てきた。ここまで頑なになれるものかね。
  私もマイペースと言われた方だが、それでも他の子がしていて楽しそうなことは自分もしたくなったものだ。 変身ごっこなんて先頭切ってやってたのじゃないだろうか。

 さて日本に行っているときのこと。
毎年、今年は七五三の写真を撮らなきゃ撮らなきゃ、と言っていて今年に至るまで結局撮りそびれている。毎年、ってのも変かもしれないが、本来は数え年で行ってたものを、現在ではは満年齢で行うことが多くなり、つまり誕生日にもよるが、まあおおむね男の子なら2歳、3歳、4歳、5歳とどれでもありってわけだ。しかし今年満5歳になるので、もう本当に撮らねば。七五三の時期はフランスにいるので、写真撮影だけなのだが、今や七五三の撮影はいつでもやってくれて、夏場だと割安でやってくれるので、家の近くの写真館で撮影する予約を入れた。

 写真館では衣装もいろいろ種類があって選べるのだが、子供に「どれがいい?」と聞くと、非常に面白くなさそうな顔で「どれもいや。」と言う。なんだか嫌な予感がしてきた。それでもなだめすかして、なんとかかろうじてよさそうなものを選んだ、と言うより好きでないものを省いていくという消去法で最後に残ったものに無理矢理「うん」と言わせたと言った方がいいだろうか。

 母とアシスタントの若い女の人に付き添ってもらい、控え室に行き、まず足袋をはかせようとすると激しく抵抗した。それでもなんとか履かせ、今度は着物の方だ、というとき半泣きで抵抗し、せっかく履かせた足袋を脱ぎ始め、また振り出しに戻ってしまう。「どうしてイヤなの?」と聞くと「Ridicule!!!(滑稽だもん!)」ですと。ああ、やはり彼にとってはこれは一種の変装なのだ。「そんなことないよ、これは変装なんかじゃないよ。」などと言って必死で着せようとしていると、引きちぎらんばかりにして拒否する。そこへ写真館の店長夫人が来てくれた。「ああ、ダメよ、無理強いしちゃ。急がないからね、ゆっくりやってもらっていいのよ。ダメだったらまた今度でもいいし。」と言ってくれる。ではしばらく休憩、というところで子供は「のどが渇いた。りんごジュースが欲しい」と言い出す。機嫌を直してもらわないとまずいので、母はすぐ隣のスーパーへ走っていった。 そしてアシスタントの女の人がおもちゃを持ってきてくれた。子供はそのおもちゃで遊び始めたが、結構夢中になっており、こちらにに気を取られている間に着せればいけるのでは、と思い、再び着物の袖を通したら思いの外うまく行き、あっという間に着せ終わった。 あとは写真撮影だが、これは大好きなのである。どこで覚えたのか去年あたりから、カメラ目線で写真スマイルもするようになってきた。
 カメラの前に立つと、スイッチを入れたように表情が写真モードになり、これが10分前に手足をばたつかせて叫んでいたのと同じ子か?って感じだ。「ハイこっち向いてー」「はい、ちょっとだけ左むいてー」「一歩下がってー、左足を前に出してねー」などの要求にニッコリスマイルで応じているとき、りんごジュースを手に母が戻ってきたが、明らかにあっけにとられている。
 あとで母に聞くと、少しは機嫌なおしてくれてそろそろ足袋くらいははいていてくれる頃かな、と思って帰って来たところ、いきなりポーズばっちりで余裕で微笑んでいるもんだから、短時間の間にここまで変わるのか、とあきれたらしい。

6月26日
 この生活にも慣れてきたのか余裕も出てきて、また何とか絵筆をとったりこうしてサイトの更新をしたりしている。 7月早々一ヶ月間里帰りなので、その準備、頼まれものの買い物があるし、バーゲンが始まったのでそちらの方にも朝一番から行ったりしている。いやはやいろいろこなしているではないか、と自分で感心することしきり。
  今、友人が来ているのでいろいろと手伝ってもらったりしてこれが助かる。ちゃっかり子どもの迎えまでを頼んじゃったりしてるのだ。 彼女は昔からよくうちに来てたが、ここのところご無沙汰だったので、日頃からメールで「また、いつでも来て来て」なんて書いてたのだが、約3年ぶりにパリに来るということで、「8月までと長いけどいい?」という彼女に「いやー、私も実は頼みたいことが・・」みたいな感じで、子どもの送り迎えのこと切り出すと、スケジュールが許す限り喜んで引き受けてくれるとの返事。彼女は夏の間研修兼アルバイトしながらパリで過ごすので、私が帰国中の時も、ここに滞在する予定だ。
 さて、私は月給とかでの契約をしてないので月によって収入がまちまちで 自由業のような扱いとなる。そうしてそういった自由業のための、社会保障というか、補助のようなものがあり、それには毎月の労働時間を、月末にさる機関へ報告しなければならない。そろそろ今月の時間数を計算せねば、と電卓を叩いていて気づいたのが、今月は何と労働時間がいつもの半分近くだ。いや、いつもより暇だとは思ってたけどここまでだったとは。慣れたわけではなく単に暇なだけだったのね。

6月10日
消えたうんこ
 うんこなんて言うなって?子育て世界では「うんち」といわねばならない。その方がおそらく可愛いからである。子育て雑誌しかり、実家の方で市から配られる小冊子しかり、みんなうんちといっているようだ。私は 「うんこ」という言い方の方が好きだ。だってなんかすっきりするでしょ?うんちってなんか出きってない感じがしてー、と言いつつやはり外では皆様に合わせて「うんち」って言ってますが。
というわけでうんこのはなし。
 もういい加減大きいのだが、うちの子はトイレに関してはどうもよろしくない。大小おもらしをよくする。 幼稚園からつれて帰るときにすでにそのかぐわしい香りで予想はついていたが、その日もパンツの中でやっていた。うんこはカカ、パンツはキュロット、従ってカカキュロットという。大分時間が経っているようでうんこは乾燥しかかっている。パンツを脱がせるとそれはコロリと落ちた。どこだ?どこに行った?と足元を見てもない。バスルームは暗い色のタイルが貼ってあるので、保護色になって見づらい。先日もじゅうたんに落ちたうんこを裸足で踏んでしまった。あの感触はもう味わいたくない。しかしどんなに目を凝らしても、範囲を広げても見つからない。もちろんスリッパの裏にはりついてないかも見た、ない。この面積の限られたバスルームの中そんなことってあるのかいな。

 ふと思い出したのが渡仏する前に仕事していたところ。たとえばノック式のボールペンが調子が悪くなったのでちょっとバネがひっかっかてるのじゃないかと中を見た拍子にボールペンの胴体上部と下部の間に着いていたリングが下に落ちた。しかしちょっと見たところ見つからない。床はじゅうたん張りなのでそんなに飛び跳ねてどこかに行くということもないはずだが。机の下に潜って捜索していても、とうとう見つからなかった。その部屋はわりとそういうことがよくあった。掃除のおばさんとかは来ないので、自分で掃除するのだが、それらが忘れた頃に出てきた、ということもない。どこかに四次元ポケットでもあるのだろうか。超現象を信じる方ではないが、たしかにものがなくなりやすいところってあるのだ。
 ちなみにうんこも見つかっておりません。トイレ・バスルームは床ふきを含め、何度となく掃除をしているのだが、影も形もない。 うちのバスルームにも四次元ポケットがあるようだ。

5月29日
 さて妹が結婚して一ヶ月が経とうとしている。よく妹に見てもらっていた分、子供は妹によくなついており、日本に行ってる間などパパではなく妹のことを恋しがってたほどなので、もうずっと帰ってこないってことがわかるとどう言うかな?と思ってたが、よく話して聞かせると、「でもおやつには来てくれる?」 と訊く。「時々来るよ」と言うとそれで納得してくれた。以後、妹と電話するたびに「また今度おやつ来る?」と聞く。私はこのセリフ、かなり気に入っている。
  今まで妹にベビーシッティングだけでなく、その他もろもろの家事を手伝ってもらってたが、それを自力でやるようになり、何とかできるもんだ、なんて自分で感心はしているものの、気が付くと当たり前だけど自分の時間が少なくなってる。 もうちょっとこの生活に慣れてきたら余裕もできると思うけど、とにかく この一ヶ月間、絵も全然描いていない。8時まで仕事の時は、前にも書いたようには妹が子どもを幼稚園に迎えに行ってくれ、おまけにご飯なんかもできてたりしたけど、今は仕事の帰りに子どもの祖父母ところへ迎えに行って、帰ってきてお風呂に入れて、寝かせてから(あるいは寝かせながら)自分の食事の準備だ。・・働く母なら当たり前か。妹がご飯を作ってくれてた、ということ自体が例外パターンだ、全く 。寝かせるのが遅くなると、朝起きてくれなくて幼稚園行くのもゴネるので、なんとか10時前に寝かせねば、とあせる。

 しかし一番私を悩ませているのが幼稚園への迎えだ。今月前半は子どもの迎えは、子どもの父親が活躍してくれた。彼はずっとグラフィックの学校で講師をしてるのだが、嘱託のような感じで週1,2回のみの勤務だ。まあ、私には都合がよかったが、数日前から別の仕事が入るようになり、迎えに行けなくなってしまった。彼の母親、つまり子どものおばあちゃんもパートに出ていてちょうどその時間が都合が悪い。彼の父は自宅にいるが病気がちなので迎えには行けないが預かることはできる、というかすすんで孫と過ごしたいようではある。なのでどうするかというと、5時からの勤務の時は、4時すぎの下校になると同時にで迎えに行って、仕事場と方角が同じ(といってもいったんメトロを下車せねばならない。)の祖父母の家へ直行。スムーズにいってもぎりぎり滑り込みなのに、うちの子は簡単なタイプではないので気が向かないとさっさと歩いてくれない。そんなときはもうヒーッて感じですだ。さて、4時からの仕事というのもある。そんな時はどうするかというと、お昼過ぎに迎えに行って祖父母の家に連れていく。お昼を自宅でとる子どもたちもいるので、前もって行っておけばお昼の前とあとに送り迎えできるのだ。しかし、小学校には行くようになったら、こんなふうにそうそう早引けさせるわけにはいかない。どうしたものか、と思いつつ、まあ、あと1年4ヶ月あるさ。まあ、何とかなるでしょう、とあくまでもイージーなのだ。

5月1日
 子供は歩き始めてから目が離せなくなり、2歳前後はかわいいんだが、一番手がかかるとき、でもこの頃をピークとして3歳過ぎると大分楽になるという。しかしうちの場合はそれに当てはまらない。4歳半になってもちっとも落ち着いてくれない。みんな自分の子だと人一倍大変に感じるのよ、なんていうが、客観的にみてやはり、うちのは特別製な気がする。

 4月末日、 妹の結婚式の日。結婚式は午後だったので、子どもは午前中は幼稚園に連れて行ったが、夜更かししたので朝かなりぐずった。日本から弟と母も来ていてあちこち行ったりしているせいか、どうしても夜寝るのが遅くなってしまう。眠かったりするとかなり不機嫌になるので、いっそのこと休ませてしまおうか迷ったが、やはり幼稚園に行ってくれていたほうがこちらも準備がはかどるというわけで、連れて行くことにした。お昼過ぎに迎えに行ったが、結婚式は3時からなので余裕たっぷりだと思ったら、さにあらず。まず新調したアイボリーのベストとパンツ、これが気に入らない。子どもにはよくあるように、カラフルな色使いや、1色なら明るい色が好きなのだ。いつも着ているパイル地の色とりどりの縞々Tシャツを着たがるが、もちろんそんな格好で結婚式に出るわけにはいかないので、強引にアイボリーのを着せようとする。もともとかなり小さいころから気に入らない服は絶対に着たがらないという子だ。子どもはすでに幼稚園で食事を済ませているのだが、われわれは遅めの昼食を取っていたが、いっそう不機嫌になった子どもが手を振り回した拍子に、テーブルの上のうどんをひっくり返してしまい、テーブルクロスはおつゆで汚れるし、準備が一番遅れていた私はもう切れる寸前…というか切れた、はは。 さらに服以上に靴が気に入らなく履かせるのにかなり苦労する。黒の革靴だが、黒は嫌がるのだ。そんなこんなでギリギリになってしまったが、子どもはまだ「結婚式嫌い、行きたくない」を連発。


 会場に行ってドレスアップした私の妹を見れば、また機嫌も直るだろうと思った。実際、入り口のところで迎えてくれた妹を見ると、様子が違っているせいかいつもよりちょっと照れつつも子どもは嬉しそうにした。しかし式が始まり、上の階の会場に行くやいなや、また「いやだー出たい、ここにいたくなーい」を連発。さらに「のどが渇いた、水ー!」と騒ぎ出したので、一緒に出席していた子どもの父親任せることにした。いったん下のホールに連れて行って、近くの店へミネラルウォーターを買いに行ってもらうよう頼んだ。父親がいるときはべったりなのでこういうときはいい。

 肉親である私は式を見届けなければと思いつつ、なかなか戻ってこないので気になって下へ行ってみると、なんとまだ オロオロあやしているだけだ。なんだーまだ水買ってないの?ほんっとーに使えないやつだ。ええい、もういい、と私が水を買いに走り、ちょっと落ち着いたころに上に戻るともう指輪交換、書類へのサインは終わっており、つまり一番肝心な部分を見のがしてしまったわけだ。
  ちなみにほかにも2人子どもが来ていたが、2人ともおとなしかった。男の子と女の子で男の子のほうは2歳半ぐらい、女の子はもう少し大きくて3歳くらいか。一番手がかかるはずの年頃だが、うちの子よりずっとおとなしかった。 いつになったら落ち着くのやら。
親の顔がみたいわい。

4月13日
 ファンデーション代わりに愛用している肌色日焼け止めクリームが切れたので買いに行った。愛用のアヴェンヌは薬局や、パラファーマシーなどで扱っているメーカーだ。チェーンのパラファーマシーで化粧品類を買うと、たいてい試供品をくれる。にこやかな店員さんが今日おまけにくれたものは、アンチエイジのシワ防止クリーム。ラッキー、ちょうどこの手のクリーム 、目新しいものを試してみたかったんだー、なんてひとしきり無邪気に喜んだあと、ハタと思い直す。なぜ彼女はこのようなものをくれたのだ?私には必要ってことか?シワ防止?もちろんとうにリンクルケアだのリフティングだのって、そんなの30過ぎどころか20代の頃から自分では必要性感じて、ちょこちょこと試してるけどさ、人からこうやって勧められるとやはりちょっと複雑だ。日本ならまあ、若作りしても大体バレるけどね、特に専門家の目はごまかせない。でもこっちじゃ実際の年齢よりよりおそらくかなり若く見られてはいたものの、それもそろそろ限界か。ちぇっ。だけど今でもマドモワゼルって言われたりするんだいっ。ふん。

3月25日
 スペインのテロ以来Plan Vigipirate(警戒態勢)がしかれ、我々は幼稚園に送っていっても特別な理由で例外的措置を申し出ない限りは、教室まで子供に付き添うことはできず、今は戸口ところまでしか行けない。しかし、今日南仏に向かう妹を見送りになのに発煙筒モクモク、消防士のデモ。午後にこのデモはオペラ地区を行進しやはいり発煙筒に細粒弾とすごかったらしい。厳戒態勢なんて言ってたって、こんなことしていたらこのすごい混雑の中、どさくさに紛れて何やったってわからないんじゃないか?
  うちの近くには大きな病院があるのだが、その前の通りはデモも通り道だ。急患とか搬送するときの妨げにならないんだろうか、といつも思うのだが。どうもこの国は厳戒態勢だろうが何だろうがはデモとストは最優先権を持つらしい。こんなふうにデモを批判してるとおめえ右翼かい?なんて言われそうだが、決してそんなことないのよ。ただちょっと辟易してるだけ、バスでの移動が多くデモ通りの横に住んでいるわたしとしては・・。

1月18日
 妹が結婚することになった。 めでたい。めでたいのだが狼狽する私。妹は私のアパートに住んでいて学生をしていた。それをいいことに私はベビーシッターとかしてもらっていたのであった。旅行業の方は朝と夕の仕事が多く、朝の仕事の時は7時半前に家を出、夕の時は午後8時過ぎに家に帰ってくることになる。当然朝8時半と夕4時半または6時過ぎの幼稚園の送り迎えに支障が出る。そんなときは妹の出番だ。私はフランスにベビーシッターをしに来とるのか、なんて言いつつも妹は可能な限りヘルプしてくれ、まあよくやってくれたよ。
 結婚していなくて小さな子どもがいて、仕事をしていて どうやって絵を描いたりHP作ったり、または出歩いたりできるんだ?なんて言われるがタネを開かせば簡単なこと。たとえ朝夕仕事が入っていてもその間、つまり朝の10時過ぎから夕方近くまでは空いている。その上子どもは幼稚園だし、つまり全くその間はフリーなのだ。

 8時過ぎに仕事から家に帰ると子どもはもうパジャマ姿、ご飯の用意もできていて据え膳状態のこともよくあった。一般的な日本の専業主婦より楽しているのは確実だった。つまりすごくイージーなシングルマザー(この言い方好きではないけどね)ライフを送っていたわけだ。
  まあ、妹にも1年半ほど前から彼ができ、いつかはこういう日が来るだろうと思っていたが、思いのほか早くことが進んだ。結婚式は3ヶ月後、仕事はしなけりゃならないし、子どもの送り迎えはどうすりゃいいのか。子どもの父親、祖父母に頼むこともできるが、毎日とはいかないだろうし・・。まあ、しかし何とかなるであろう。3ヶ月後といったらまだ先だ。そのときに考えればいいさ、とあくまでもイージーなのである。

 

 

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